ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

イスラエル大統領シモン・ペレス

 「私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない」(ヨブ9:33)。
 朝日新聞別刊グローブ2月17日号では、現イスラエル大統領シモン・ペレスニューヨークタイムズ記者に語った内容を、グローブの青山記者が抄訳して載せていました。元の内容はニューヨークタイムズサイトを見れば、全文掲載されていますhttp://www.nytimes.com/2013/01/13/magazine/shimon-peres-on-obama-iran-and-the-path-to-peace.html?pagewanted=all&_r=0)。両方参考に纏めてみます。

 シモン・ペレス氏は1923年にポーランドで生まれ、1934年パレスチナに移住しています。1947年、やはりポーランド生まれ、パレスチナ移住の初代イスラエル首相となるダヴィド・ベン=グリオンに頼まれ、国防軍の隊員確保や武器の調達に奔走しました。ベン=グリオンは根っからのシオニストで、『イスラエルとは何か』の中にも登場しますが、「われわれの思考と労働を方向づけるべき唯一の大きな関心事は、あくまでも土地の征服、そして大規模な移民流入によるその植民地化である。それ以外は単なる飾りものに過ぎない」(1922年)と述べ、建国の際は「「シオニスト国家の成立と維持を可能にしたのは外交よりもむしろ軍事の成功であった」と言ってはばからない闘士でした。
 そのペレス氏がラビン首相の外相として、アラファト議長率いるPLOと和平交渉を進め、オスロ合意(暫定自治協定)を1993年に締結し、その功績でラビン首相、アラファト議長と共に1994年のノーベル平和賞を受賞しました!(*大いに疑問)。2007年大統領に選ばれ、今日に至っています。
 バーグマン記者がペレス大統領と会見したのは、2012年の事でした。ペレス氏はイランの核開発問題を巡るネタニヤフ首相と米国のオバマ大統領の不和では、穏健な仲裁者と見られていましたが、そうではなく、最善の努力を尽くした後もその問題が解決しない場合、米国は必ずイランを攻撃すると述べ、バーグマン記者を驚かせました。彼は実際にはネタニヤフ政権の動きを擁護していました。
 パレスチナの問題では、イスラエルイスラム組織ハマスとの間で結ばれていた暫定協定が終了した後、イスラエルガザ地区を侵略し、ハマスはイスレルにロケット弾を撃ち込み、それから際限もない報復合戦が続きました。
 ペレス氏はハマスがテロ活動を止め、イスラエル国家を承認するなら、交渉を再開するのは可能であると述べました。
 もうすぐ90歳になるペレス氏、100歳まで生きれば、「この憂鬱な、しかし素晴らしい、驚くべき世界の一区域に平和が来るのを目撃する特権に与かる事が出来ると確信する」と述べ、この会見は終わりました。
 ペレス氏は国防長官に就任した1953年を前後して、現イスラエルの戦闘機や原発をフランスから購入し、ベン=グリオンの夢を実現させた一人となりました。その経歴を調べてみた限りでは、氏はユダヤ教信徒ではなく、パレスチナ人との武器なき平和的共存という、旧約の律法を主張する人でもない事が分かります。ならばこの中東の一角に真の平和が訪れるのは、相当困難であろうと思われます。
 ヤコブ・ラブキン教授は、第二次世界大戦期にヨーロッパのユダヤ人たちがパレスチナの地に帰還する事を望んでいたのに、現在は「シオニスト国家の行く末に危険を見て取り」、逆に欧米などへの脱出を試みている人々が多数いる事を指摘しています。米国へは実に50万人も移住を望み、パスポートを手にしているそうです。「現代イスラエル史上初めて、シオニズムイスラエル国家がユダヤ人自身にとって危険の種になっている」のです。こんな深刻な事実を私は勉強してみるまでは、全く知りませんでした。