ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

再び「物欲は世界を救う」の記事について

 朝日連載の上記シリーズ8回目は、タレントの寺門シモンという人が登場しています。我が家にはテレビもないし、最近の漫画は読んだ事がないので、このタレントがどんな人か知りませんが、書かれている内容からだいたい想像出来ます。
 電気製品や携帯電話などどんどんハイスペック(=性能のよい事)の新しいものが出て来る、これに寺門さんは目がないという事ですから、他の製品と合わせて一杯買い込み、部屋中足の踏み場もないほどになるようです。そしてその「進歩」の様子を実感するのがたまらないという事だそうです。だからモノを買うことで経験は深まると言っています。新製品が売りの会社には「いいかも」かも知れませんね。
 そうやってモノが多くあると「生きることを楽しくし、心をワクワクさせてくれる」…だから物欲は止められないそうです。何だか文庫のシリーズでよく見かける中村うさぎさんと似ています。
 寺門さんは貯金には全く興味がなく、給料は全て使ってしまう事になります。最後にお金はあの世に持ってゆけないので、生きていることを楽しむのに使ったほうがいいと勧めています。だから物欲がないという人は人生を楽しんでいないのではないかと疑問を呈しています。
 ではキリスト教信徒としての立場から、聖書を引用し反論します。
 「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました」(テモテ第一6:6−10)。
 私たち信徒は最小限の衣食をもって足れりとします。その為のお金は必要ですが、物欲の為に使い切るような事はしません。モノの充足だけでは人間は決して満足出来ないからです。それだけなら動物と変わりありません。目指すものを買った後、必ず虚しくなります。回心した世の成功者の全てが、例外なくその事を証しています。心の満足こそ大切です。それは救い主イエス・キリストのみことばで生じる満足です。
 「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます」(ピリピ4:19)。
 栄光の富はこの世で消えてなくなる金やモノではありません。霊的な富です。神はこれを与え、人間との交わりで人間に喜びと感謝の気持ちを起こさせます。こうした神と人間との関係を創出する為に人間が造られたからです。この霊的なものは回心してから生じるので、未信徒は霊的に死んだ状態です。肉体として生きていて動物的な物欲という面だけが心を独占しているから、霊的には全く死んでいます。寺門さんも例外ではありません。全く哀れな寺門さん、死んですべてが終わりでない事もお忘れなく。
 「この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように」(テモテ第一6:17)。