楢葉町の視察
「通りのとびらは閉ざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる』(伝道者の書12:4)。
2017年6月19日、あいにく強風と横殴りの雨と冬並みの寒さでしたが、かねて視察してみたいと思っていた福島県双葉郡楢葉町まで、車で行って来ました。
まず南端のJビレッジから。3・11原発事故でその収拾の為の拠点となったところです。それが本来のサッカー施設として再開される事になり、昨年は広い敷地の真中の道路を走りました。その時は再開の為の工事中で、どこからも中に入れませんでした。今年はもうサッカーの練習の声が聞こえるかと思い、期待して行ったのですが、実は昨年と全く同じでした。どこの入り口にも警備の人がいて通せんぼでした。あとで楢葉町役場に行った時、「2018年夏Jビレッジ再始動」とあったので、現在は工事たけなわ、もう1年待たなければなりません。
次は楢葉町の代表的な岩沢海水浴場です。看板がありました。それに従って行くと、立ち入り禁止の看板と通せんぼの鎖。仕方ないので戻って県道391号広野小高線で北に向かいました。高台から坂を下ると、3・11の津波で大きな被害に遭った山田地区、現状がどうか見られるはずでした。
ところが何とここも通行止。ユーチューブで見られる惨状(https://www.youtube.com/watch?v=rQxzuCOhD8o)から復帰の為の工事が盛んに行なわれていました。やはり警備員が居て、具に見る事が出来ませんでした。写真右。
それで国道6号に戻り北上、その西側にある「道の駅ならは」を見ながら通過しました。福島県内は他の地区でも道の駅が次から次へと出来つつありますが、この楢葉ではいまだ休館中、復旧工事も行なわれてないようです。トイレ休憩だけです。道の駅は地元産の野菜他いろいろ置いて、観光客でにぎわうはずですが、ここが再開されていないのは、まだまだ復興が進んでいない事を象徴しているようです。
さらに北上すると木戸川にかかる橋を渡ります。その渡ったところを左折してしばらく行くと、豊富な水を湛えた木戸川が見られます。なぜ木戸川かと言いますと、ここはサケが遡上してくる事で有名だからです。今年3月のネットの情報では、440万匹の稚魚を国道6号の右手河口に近い前原地区で放流しています。ちなみに放流を止める事にした3・11の前は1200万匹だったそうです。今年の放流には町内の子どもたちも約10名参加し、また戻って来るのを楽しみにしているとか(https://mainichi.jp/articles/20170331/k00/00m/040/188000c)。木戸川をさらに西に進むと渓谷がありますが、今回はそこまで行きませんでした。この道250号をずっと西に行けば川内村に達します。次はそこを視察するつもりです。
戻って6号を跨ぐとすぐふたば復興診療所があります。昨年2月にオープンしたばかり。町で数少ない医療機関ですが、入院設備はないものの現在は中核的存在みたいです。向かい合う形で蒲生歯科医院もあります。入院出来る病院はまだありません。それはお年寄りや子どもにとっては不安でしょう。
まっすぐ東に車を走らせると登り道になり、また工事で迂回しなければなりませんでしたが、遂に目指す有名な天神岬に到着しました。ここは楢葉町としても観光の名所として盛んに宣伝しています。まず手前左手に日帰り温泉しおかぜ荘があります。2015年9月再開で、この日も雨の降りしきる寒い中、わりに多くの人が利用していました。そこからすぐ先に今年2月再開したアイスショップウインディーランドがあります。ここも福島民報で紹介されており、ソフトクリームが美味しいそうです。私も食べてみようかとは思いましたが、すごい寒さの中、風雨が強く写真も撮れない状況で諦めました。
そして広い駐車場とスポーツ公園。この公園には大規模な弥生時代の遺跡があり、その所在を伝える標識があります。この岬のすぐ下が先ほどの木戸川河口で、古代の人々は実に良い所を選んだと思います。除染が終わった後、きれいに整備されており、歩きやすい上に河口だけでなく太平洋を見渡す事が出来ます。展望台もありますが、この日の海は霧がかかっていて、遠く福島第二原発が見えるはずでしたが駄目でした。荒ぶる波はこの日3メートル以上でしたが、あの3・11当日も、そんな波の巨大なものが襲ったのだなと思いました。
さて最後になりました。その見えなかった福島第二原発ゲート前まで6号から進みました。富岡町に入ってからすぐです。
これまで6号からは専ら第一原発柵しか見ていませんでした。なので全く初めてそこに近づいたわけです。でもゲート前に北海道警の車があり、そこから私が撮った写真を見ますと、ものものしい警備ふりで、中央の二人は私とカメラを睨みつけているのが分かりました。あとでぞっとしました。
なぜこうなのか?勿論テロ対策でもありますが、福島県は議会も県民の圧倒的多数も、第二原発の廃炉を求め、内堀知事は再三にわたり、その要望書を東電に渡しています。しかし東電は、そして国はいまだに廃炉を明言していません。おそらくほとぼりの醒めた頃(五輪後?)再稼動させるのでしょう。その時抗議に押しかける人々を阻止する為か?
こうして今回の旅は楢葉町の北端から南端まで6号を挟んで見て来ました。8時半に出て、2時には帰宅していましたが、悪天候でなければもっと見られたと思います。特に6号西の蛭田牧場など視察は次回に持ち越しです。常磐線は現在竜田駅まで。一瞥した感じでは、富岡駅までの線路も良く整備されているようです。今年の10月開通するそうです。
印象としては楢葉町はまだ至る所道路、防潮堤等々のための工事をしており、土地の人でないと道が分からなくなります。まだまだ帰還の用意が整ったとは言えないようです。現在の(登録)人口は6月1日で7,241人となっています(楢葉町ホームページ)。3・11当時は8,011人、5月1日段階での帰還者数は1,616人、およそ20パーセントでしょうか。残りの80パーセントは、現在帰還すべきかどうか考慮中なのでしょうか?放射能は毎時0.23マイクロシーベルトを基準にすると、21箇所測定のうち、2箇所0.01、0.05上回っているだけです。前向きに考え、もっと多くの人が帰還してくれたらと思います。比較の為子どもの多いいわき市では最大でも毎時0.1マイクロシーベルトです。