ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

哲学者中島義道が言うように本当に『人生に生きる価値はない』のか

 この非常に「くせのある」哲学者の本は、『うるさい日本の私』以来読む気がせず、というより読んでいる時間がもったいない為、ずっと借りないで来ました。しかし新潮文庫に『人生に生きる価値はない』という題のものが上梓された為、中島氏の与える影響が大きい事も考えて、今回図書館で借りて読みました。 ただ前半は連載随筆から選択されたものが恣意的に並べられているだけなので、斜め読みして後半に向かいました。前半で付箋が入っているのは、電車の中で平気で化粧する女の人を注意したくだりで、中島氏にとっては非常識で不愉快極まりない事でしょうが、今の若い女性は全然忠告に耳を傾けようとしません。こういう女性が増えているのは確かですが、幼い時の躾が大切で今さら隣り合わせの人(中島氏)が怒鳴ってみたところで、馬耳東風なのでしょう。
 ところで後半に入ると、生と死についてわりに多くのページが割かれています。
 執筆時点ではまだ電通大学の教授でしたが、退官して「哲学塾カント」なるものを立ち上げ、生死やカント、ニーチェキルケゴールなどを取り上げて教えています。驚いた事にこの講座結構人気があるようで、全国から人々が集まって来ます。難解な本が多いのに、よくもまあと思ってしまいます。
 勿論哲学者ですから、聖書の事などほとんど話題にしていません。
 しかし本の題は私の主である神のみこころとは真っ向から対立するので、多少聖書から反論したいと思います。
 中島氏の言わんとしている事の核心部分はだいたい次のくだりで分かります。「人が生まれるのも死ぬのも、苦しむのも、楽しむのも、何の意味もないと小学生のころから思っていたのだが、ここ十年ほど、他人の顰蹙をも省みず、そもそも人生は生きるに値しないこと、何をしてもどうせ死んでしまうこと、その限り不幸であること、それから目を離して生きていることが最も不幸であることなど、繰り返し書き散らしているうちに、奇妙に『明るい』気分が私の体内に育っていった…人生は瞬時も生きるに値しないことはますます確かになるのに…なぜか私は明るくなっていったのである」。ですからこの章は「明るいニヒリズム」となっています。私はこの文章の後半の一部にパスカルのパンセが入っていると確信しますが、本人はカントとニーチェを結ぶところに発生すると言っています。もしパンセの後半部分に傾注していたら、イエス・キリストに辿り着くのに。 
 しかし中島氏が説くように、本当に人生は瞬時も生きるに値しないのでしょうか?
 確かに人間は全知全能の神に比べたら「虫けら」(詩22:6)に過ぎませんが、神の目から見れば「あなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)のです。そもそも神は人を「わたしの栄光のために、わたしがこれを創造」されたのですから(イザヤ43:7)。ですから神は人が堕落し背反していても、「私のことばを心に留め、私の命令を守って、生きよ」と呼びかけておられるのです。その命令とは新約にある救い主イエス・キリストを信じる事です。その時の賜物として神は永遠のいのちを私たちに授けて下さいます。「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」(ヨハネ6:40)。
 ですからどうせ死ぬ人間に生きる価値がないとする中島氏の「明るいニヒリズム」に惑わされないで下さい。どんな事があろうと「信仰」を抱いて生きて下さい。