ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

マイム・マイム

 2012年6月16日の朝日新聞のbe紙面に、「胸騒ぎする哀愁の音楽 イスラエル民謡『マイム・マイム』」という題の記事がありました。
 私はこの民謡を知らないと思っていて、どんな曲かグーグルを検索して調べたら、たくさんありました。なぜか?私たちが幼い時、学校のフォークダンスの主題曲となっており、それに合わせて皆で手を合わせ、丸くなって踊った事があったからです。以下のサイトで曲の歌詞を変えたものが聴けます。http://www.youtube.com/watch?v=n_rqhMIII44
 この曲は朝日によると、1948年のイスラエル建国の頃の民謡だそうです。
 イスラエルは紀元前722年に北イスラエル王国アッシリア帝国によって滅ぼされ、同586年には南ユダ王国がバビロン帝国によって滅ぼされて以来、国がなくなり、生き残った民は各地への「離散」を余儀なくされました。彼らは世界の各地で旧約聖書と、自分たちの言語や文化を守り、長い年月を過ごして来ました。迫害を受けた彼らの一部は19〜20世紀に米国に渡り、そこでも拠点としての会堂を作り、生活を続けましたが、その中から多様な劇や音楽が生まれたそうです。建国と共に米国や、他の欧州諸国などから故郷に戻った彼らの中で、この「マイム・マイム」が生まれました。
 それはイザヤ書の12章3節から採られています。

 ヘブル語は右から左へ読みますが、この箇所の発音は「ウシェアヴテム(=そしてあなたがたは汲む) マイム(=水) ベサソーン(=喜びのうちに) ミマアイェネー(=泉から) ハイェシュアー(=救い)」となり、意味は「あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む」(新改訳)となります。
 ちなみに左隅のイェシュアー=救いは救い主イエスの名称のもとになっています。イエスの預言となっていますが、これは新約聖書で成就しました。イスラエルは否定しています。ベサソーンのうち、ベは英語のinと同じで、サソーンが喜びという名詞になります。
 冒頭の曲は軽快ですが、実際には長い離散の歴史がある為、旋律の奥には哀愁感が漂っているそうです。
 バビロン捕囚にあった人々は、とても喜んで琴をかなでる事が出来ませんでした。
 「バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。それは、私たちを捕え移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、興を求めて、『シオンの歌を一つ歌え。』と言ったからだ。私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか」(詩137:1−4)。
 ともあれ、私たちは繰り返し部分「マイムマイムマイムマイム マイムマイム ヴェサソン」(*喜びの水と言ってもよいでしょう)をすぐ口ずさむ事が出来るでしょう。そしてヘブル語単語2つは覚えた事になります。