ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

もう一人の予言者槌田劭(=つちだたかし)氏

 iireiさん(http://d.hatena.ne.jp/iirei/)から勧められた槌田劭(=つちだたかし)氏の著作ですが、図書館には『地球をこわさない生き方の本』と『脱原発・共生への道』の2冊だけあったので、それを借りて読みました。驚くばかりの「先見性」を持った方で、どちらも今から20年ほど前に書かれたものであるにも関わらず、今なお新鮮さを保っている本です。例えば前者ならTPP(環太平洋経済連携協定)が抱える農業の自給問題、後者では福島原発事故脱原発問題を鮮明に「予言」しています。
 前著の中にある食管制度ですが(*国民の食糧の確保のために、主要食糧の需給や価格を調整し管理する制度。1942年〜1995年)、槌田氏は成立当時は「日本が戦争するため」だったと述べています。戦後米国がお米の自由化を要求しているけれど、もし戦争になったら日本は主食の確保が出来ず(食糧輸入の際その補給航路を防衛するのは事実上不可能だから)、自衛隊など簡単にポシャッてしまいます。だから氏は食糧の自由化を進める前提として、「自衛隊をやめなければなら」ず、「絶対平和主義の日本国憲法の精神に忠実に立ち戻ることでなければな」らず、「食、つまり生きることの基本を他国まかせにすることは他国を絶対に信頼することでなければなりません」と明快に述べています。しかるに日本は膨大な額の防衛費を支出しており(2011年4月のデータでは世界第6位545億ドルも)、この大前提が崩れる矛盾を犯しているわけです。それを考えた時、槌田氏は「食管制度というのは、食糧の安定生産と公正分配のためには大事なんです…貧しい人にも豊かな人にも、お金のある人にもない人にも、安い食料品がいきわたるようにすることは大切です(胃袋の大きさは同じ)。食べるということは生きていくための基本ですから、これは福祉…」と、極めて重要な事を指摘しています。現在のTPP反対論者のほとんどはこの槌田氏の予言を踏まえたものではないでしょうか。
 後著は予言者としての槌田氏の面目躍如たるものがあります。私はこれが福島原発事故を受け書き下ろされたものと錯覚するほどでした。復刊された時、その第一章冒頭と、新版あとがきで触れているだけでした。本文で氏は「原子力は石油の代替にはならない」「エネルギーによる環境汚染を強める」と述べ、原子力による負の連鎖論を展開しています(モノの再生利用に詳しい槌田氏の真骨頂を見せた部分です)。
 聖書のテモテ第一5:20に「テモテよ。あなたにゆだねられていることを守りなさい。そして、俗悪なむだ話と、偽りの「知識」による反対論とを避けなさい」とありますが、この知識という言葉(ギリシャグノーシス→動詞ギノースコー)、現代英訳ではKNOWLEDGEですが、欽定訳は「SCIENCE」と訳しています。そして槌田氏は「罪科(とが=咎)両者意味同じ」のうち科が科学の科と同じ字だという事は、「何やら意味ありげ」だと言っています。創世2:17で神は最初の人アダムに「しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない」と命じられたわけですが、アダムはこの命令違反という罪を犯し、夫婦共にエデンの園から追放されました。この場合の「知識」という言葉は、70人訳ギリシャ語でギノースケインとなっていて、同じギノースコー(=知るようになる)という動詞の派生語です。
 ですから槌田氏はアダムが善悪の知識の木の実を食べたという事は、楽園追放後人間が罪を負って「知の世界で生きる」ようになった、「知恵で働きかけて自然とつきあって生きる生物になってしまった」、「原罪を意識しつつ知恵によって生きる生き方を求められるようになった」と、きわめて鋭い考察をしているのです。知識を積み重ね、次第に判断力・処理能力がうまく出来た場合に知恵と呼ぶわけですが、その知恵がうまく働かず(原罪を負った利己的な科学者たちに働くわけがない)、危険な領域へ暴走してしまう事も大いにあり得ます。そしてその成れの果て「大きな罪が最も端的に表現されているのが原子力」と。お見事!
 その意味で科学は必然的に罪咎を担い、中立なんてトンデモないわけです。
 首都エルサレム陥落という預言的中で預言者エレミヤは「私は泣いている。私の目、この目から涙があふれる」(哀歌1:16)と告白しましたが、現代の予言者槌田氏、そして京大の小出氏も原発事故的中で泣きました。