ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

松戸市剪定枝処分に窮する

 新聞報道でおなじみのように、私の住む松戸市福島原発事故での放射性物質の「ホットスポット」になっています。児童が遊ぶ公園などかなりのセシウム汚染があります。
 そもそもの発端は中部大学武田邦彦教授のホームページ(http://takedanet.com/2011/05/post_5c55.html)での5月段階の指摘によります。松戸とその北側にあたる流山、柏、三郷の4市が挙げられていました。
 朝日新聞によると松戸市は、燃やせるごみを市内のごみ焼却施設で処分した後出た灰に、埋め立て処分に関する国の当時の基準値(1キロあたり8千ベクレル)を上回る同1万500ベクレルの放射性セシウムが検出された事を、7月初旬に認知していました。それまで松戸市はこの焼却灰を秋田県小坂町までコンテナで運んで処分してもらっていました。しかしその灰に高濃度の放射能汚染が出ている事を知ってから、市内の灰搬出中止措置を講じ、小坂町には知らせたものの、既に貨物列車で輸送中の灰の埋め立て中止の措置はとらなかったのです。その結果小坂町では約40トンの汚染灰が埋め立てられてしまいました。
 この「知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいた」松戸市のやり方は、当然小坂町の怒りを買いました。それで小坂町は直ぐに合意書を破棄し、まだ大館に残っていた汚染灰をコンテナごと松戸市に送り返したのです。当然の措置でしょう。

 その後松戸市は従来「燃やせるごみ」だった「剪定枝」を「資源ごみ」とし、ごみ焼却場への搬入を止めました。その回覧板は私の住むマンションにも回って来ました。しかしその資源ごみに変容した剪定枝、行き先を失い、市としては不燃物を埋め立てている日暮最終処分場をその仮置き場と指定し、不燃物の上に積み立てて来ました(朝日11月9日記事)
 ところがです。松戸市はこの剪定枝が結構多い上に、放射能を心配する植木の多い家庭では、必要以上に刈り込んでいたと思われ、あっという間に満杯になってしまいました。下の画像は松戸市議鈴木だいすけ氏のホームページからお借りしました。

 このごみの山、時間と共に腐って悪臭がひどくなり、発酵腐敗と共に火災の起こる危険性も出て来たので、市は現在窮地に陥っています。
 まして原発死の灰などこれからどうなるのかという事を考えると、暗澹たる思いです。救い主イエス・キリストは次のみことばを残されました。
 「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます…わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません…だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます」(ヨハネ15:1,2,4,6)。
 ここで主イエスは、ご自分と信徒との関係をぶどうの木とその枝に譬えられました。もし信徒がイエスを離れてしまえば、木から剪定された枝のように投げ捨てられ、枯れて腐ってしまいます。そうした枝は役に立たず、寄せ集められて火に投げ込まれてしまいます。そして燃焼し跡形もなくなります。
 松戸市では譬えられたこの剪定枝、放射能汚染は明白と思われ、焼却されず宙に浮いています。イエスご自身、譬えが「成立しなければ」大変怒られるでしょう。(*下書きの時点でそうでしたが、松戸市はその後剪定枝の焼却処分を再開したようです。苦肉の策!)。