ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

福島第一原発事故で真っ先に被曝医療にあたった寺沢福井大学教授

 2011年11月19日の朝日新聞は、福島第一原発事故の情報を受けて、3月13日真っ先にJヴィレッジにヘリで向かった福井大学医学部教授寺沢秀一氏の事を紹介していました。
 寺沢教授は金沢大学医学部を卒業し、沖縄で研修を受けた後、カナダのトロント大学病院に留学し、そこで初めて救急救命医療の事を学びました。そして開所した福井県立病院の救急救命センターに勤務、日本での本格的な北米的救急外来(略してER)のキャリアを積みました。そして日本に僅か500人しかいないER医の草分け的存在と呼ばれるようになりました。その後福井医大救急医学教授、次いで同大の総合診療部教授となり現在に至っています。写真はアサヒコムより拝借。

 そういうわけですから、被曝医療の事も精通しており、原発事故ではJヴィレッジ(11月17日のブログ参照)からの要請を受け、同じ福井県の医師6人と共にそこへ飛び、救急・被曝の両面から陣頭指揮を執って治療に当たりました。
 Jヴィレッジは原子炉建屋からは離れていますが、そこへ東電の車が現場の患者を次々と搬送して来たわけです。そのうち被曝患者の中には極めて高い放射線量を示した現場作業員もいたでしょうが、寺沢教授は全くひるむ事なく、率先して治療に従事しました。そこが偉いところです。なぜなら目に見えない放射線の汚染や被曝を怖がる医師・看護師が全国で予想以上にいて、実際福島に入ったのは寺沢教授を含め、僅か15人しかいなかったからです。
 寺沢教授が放射能を恐れず患者と接触出来たのは、北海道電力泊原発での被曝作業員との接触について細かなデータを得ていたからです。つまりその1時間での被曝線量を計算してみると、胸部X線検査1回を遙かに下回るという事でした。
 でも寺沢教授は「医療関係者は被曝の恐れを顧みずに対応しろ」と言っているわけではない、と釘を刺しています。問題は現場に救援に行くかどうか、自分で判断する知識を持っているかどうかという事です。ですから福井医大では養成コースを作り、後進の指導にも積極的に関わっています。
 そのように原発事故現場でも、「助かる命が救えないなんてことが、医師にあってはならない」と、救命に情熱を注いでいました。
 その教授の姿勢を見た時、やはり思い出すのが、救い主イエス・キリストの事です。
 「さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。『お心一つで、私はきよくしていただけます。』イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。『わたしの心だ。きよくなれ。』すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった」(マルコ1:40−42)。
 ここで「らい病」と訳されたギリシャ語の言葉レプロスは、一般に疥癬と呼ばれる伝染性の皮膚病の事ですが、英訳ではレプロシー(らい病)と訳しています。新改訳もそれを踏襲しています。しかし対応する旧約のツァラアトというヘブル語、症状は確かにらい病と似たところがありますが、全く同じではないので、新改訳第三版では原語のまま「ツァラアト」を使用しています。いずれにせよ、強力な伝染性がある重い皮膚病だったので、一般の人々は怖がり、触れる事はしませんでした。そして共同体から排除されていました。当時の並みの医者も祭司も扱いに窮していたでしょう。
 救い主イエス・キリストはそのレプロス患者が近づいた時、率先して手を伸ばし、その患者の皮膚に触れられたのでした。全能の医者に真摯に救いを求めた患者はただちに癒され、その心もきよめられたのです。
 どんなに怖い病気に罹患していても、医者が率先垂範して処置に当たり助ける事の大切さ、イエスだけでなく寺沢教授も実践したのでした。