ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

中島敦著『名人伝』はいろいろな事を示唆している

 中島敦氏の本と言えば『山月記』があまりに有名で(高校の教科書でも採択されていたと記憶しています)、他の作品は読んだ事がありませんでした。
 今度またまたiireiさん(http://d.hatena.ne.jp/iirei/)の紹介で、『名人伝』を読み、実にいろいろな事を教えられました。
 中国趙の或る都に紀昌という人がいました。天下第一の弓の名人になろうという志をたて、師匠となるべき人を探しました。すると当今この人に及ぶ者は誰もいないという人を見つけました。なぜなら「百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人だった」からです。その名を飛衛と言いました。
 そこで紀昌はその門を叩きましたが、まず第一の訓練として「瞬きせざること」を学べと命じられた為、一生懸命努力します。家に戻り妻が行なっていた機織りをじっと瞬かず見詰め続けました。昼夜を分かたずカッと見開き、何が目に飛び込んで来てもそのままでした。そしてこの関門をクリアしました。
 次は「視ること」を学べというものでした。そこで紀昌は蚤一匹を髪の毛で繋ぎ、窓に懸けて終日睨み暮らしました。それを続けているとだんだん蚤が大きく見えるようになり、遂に矢を射ると蚤だけに命中するようになりました。打撃の王様巨人の川上が打球を追うと静止しているように見えたというのに近いのかも知れません。
 それで初めて師匠飛衛の弟子入りがかない、秘伝を伝授されたわけです。紀昌の腕はめきめき上達し、最後はもう師匠から学ぶところが無いというまでになりました。おそらく彼はそこで慢心したのでしょう。或いは「サタンの誘惑」を受けたのかも知れません。天下第一となるにはこの師匠を除かなければならないと思うようになりました。その機会は早くも訪れ、二人は対峙しました。勝負は互角に終わり、紀昌は師匠を狙った事を慙愧し、師匠も身を守られ、自己の技量に満足した為、二人はその場で抱き合い、師弟愛の涙に暮れました。
 しかしその後身の危険を感じた師匠の飛衛は、紀昌に対して新たな目標を課したのです。甘蠅老師を訪ねよと教えます。この老師の技に比べれば我々の技量は児戯に等しいからだというのです。この師匠の言葉は紀昌の「自尊心にこたえた」為、直ぐに旅立ちその老師と出会います。するとこの老師匠は彼の抱いていたイメージとははなはだ異なり、柔和でよぼよぼのお爺さんです。
 紀昌はその場で自分の腕を披瀝しました。ところが老師はそれは「射の射」に過ぎず、「不射之射」を知らぬと応じました。そして自らそれを実践し、弓矢なしに鳶を「打ち落とし」ました。紀昌は慄然とし、以後この老師の許で修行を始めました。しかしその後の彼については誰も分かりません。5年後に老師を離れ、郷里に戻った彼の容貌は「木偶のごとく愚者のごとく」とあるほどに変わりました。
 しかし弓を使わない彼の無敵の評判は喧伝されました。伝説の人物となったわけですが、当人は最後に沈黙のまま静かに世を去りました。
 以上が内容の要約ですが、私はそこに高慢を見事に打ち砕かれ、低くされた紀昌を見ます。
 バビロン王ネブカデネザルもそうした人物でした。彼も自分の建てたバビロンを大いに誇り、傲慢になりました。
 しかし神は「高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる」(ヤコブ4:6)方です。彼を低くする為栄光の座から降ろし、「野の獣とともに住み、牛のように草を食べ」る者とされました(ダニエル4:32)。
 しかしそれはネブカデネザルの試練で、その期間が満ちると、神はご自分をほめたたえる彼を再び王位に戻されました。
 その彼の証は今日でも有効です。彼もヤコブに倣い、神は「高ぶって歩む者をへりくだった者とされる」(ダニエル4:37)と。
 この本を紹介して下さったiireiさんに深く感謝致します。