ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

環境保護運動の間違い=再び槌田敦氏の主張から

 環境保護運動では、地球温暖化対策として二酸化炭素排出量削減を決めた京都議定書を踏まえてのダーバン会議が、最近やっと合意に達したというニュースが流れましたが(日本時間12月12日)、この因果関係の問題が一筋縄で行かない事は、相反する主張を読んでもよく分かります。
 ですからその問題点について早くから指摘している槌田敦氏の考え方に対しては、ネットでもかなり誹謗中傷がされているようです(*自己中心で相手を一方的に裁くのがネットで相当部分を占めているのは悲しむべき事です。例えばhttp://hechiko.cocolog-nifty.com/blog/cat1338000/index.htmlでも、槌田氏の事をニセ科学者、トンデモ科学者などと切捨て、返す刀で元東大工学部都市工学科助手を勤めた中西準子氏まで批判しています。論文を読んでいてもあまり気持ちのよいものではありません。
 だから救い主イエス・キリストは「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」(ルカ6:37)と言われたのです。上記ブロガーはダーウイン進化主義を受け入れていますから、 「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから」(マタイ7:6)とイエスが戒められた類の人でしょう。
 それはとにかく槌田氏の『環境保護運動はどこが間違っているのか?』を読んで、私にとっては「目から鱗」という箇所が幾つかありました。
 まず冒頭の「牛乳パックはゴミ焼却場で燃やそう」という提案です。普段あまり牛乳パックを買わない私ですが、買って飲んだ後はリサイクルの為のパック分解方法が面倒で、燃えるゴミに入れて出しています。槌田氏はこれがリサイクルに馴染まない理由を明確に述べています。理由はコストの問題など幾つかありますが、それよりパックのメーカーが良質のパルプから作ったものの、その両側にポリエチレンフィルムが張った為に、再生が困難になったという事実です。なるほどと思いました。日本の技術ならその問題は解決不可能ではないでしょうが、そこまでコストをかけては商売になりませんから、焼却してそこから熱エネルギーを取り出すほうが良いというのです。またプラスチックの場合今盛んに研究がされていますが(12月15日の朝日では生分解性ブラスチックなら条件により土に戻せるし、コストの面でもまあまあという北本宏子氏の研究が紹介されていました)、まだまだ疑問符が付きます。古新聞などの古紙再生もやめた方が良く(その過程でもっと環境を汚染するから)、アルミ缶ならやっと採算が合うのでOKだそうです。その点水銀や乾電池は結局廃物になり、地球汚染に繋がるので回収しないという事です(土に戻せないものは基本的に作らないという原則)。
 私たちになじみのある燃えるゴミ、燃えないゴミの分別も、大局的に見れば高性能の焼却炉で燃やすほうが良いという事になります。
 では今緊急の課題である核廃物についてはどうでしょうか。汚染拡大を考えると、土にも海にも宇宙にも捨てられない、基本的には地球上に建屋を作って厳密な管理をするしかないのでしょうが、最優先すべきプルトニウムをどうするか。英国では地下最終処分場への廃棄を考えています。しかし槌田氏は深海に捨てた方が良いと言っています(これが一番衝撃的な提案でした)。つまり「金合金の小さな粒にして、日本海溝にばらまく」のです。そうすればテロリストたちも手が出せません。海水中にはもともとウランが一杯ありますが、その濃度でゆくとプルトニウムの方が遙かに低く、それがイオンになっていれば、まず問題ないという事です。私は納得しましたが、いい加減な読み方をする人々からのバッシングは相当出るでしょう。
 最後にトップで取り上げた地球温暖化問題の政治的な意図に触れます。
 もし今「原子力発電を廃止すると化石燃料に頼ることになる。そうすると炭酸ガスが放出されて地球が温暖化してしまう。それを防ぐために、やはり原子力を再開するしかな」という理屈です。ですからその問題に積極的に取り組んでいるフランス、日本、アメリカといった国々は、原発推進という政治的狙いがあるわけで、下手をすると一般の私たちでさえ、その論理に乗せられてしまいます。世界の論調がその方向なので、大勢に流されない思考の強さが求められます。
 とにかくこの2007年に宝島社で出した新書は、繰り返し読む価値があると確信します。
 旧約の伝道者は自然のサイクルの一端を次のように表現しています。
 「一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる」(伝道1:4−7)。
 しかし原発事故はこの地も海も正常な営みから一変させてしまいました。東関東では次のまともな時代がいつやって来るでしょうか。