ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

創造論と結婚論争

 2012年1月3日のハフポストサイトでは、「創造論と結婚論争」という題で、ジェイムス・ペロンという人が記事を書いていました。
 著者はムーアフィールド・ストーリー研究所所長となっています。ムーアフィールド・ストーリーは古典的自由主義の信奉者だそうです。ペロン氏の考える結婚の平等とは、あらゆる同性愛のカップルは、異性愛カップルと差別されてはならないという事です。
 この論文の最初からペロン氏は創造論者たちを攻撃しています。「彼らは科学を無視し、世界は7千年前に造られ、諸々の種は進化しないといった、聖書神話への見解だけに基づいた主張をしている。彼らにとっては現実はその神学に合わせなければならず、その逆ではない」。さらに「神は一人の男と一人の女の間の誠実な協力関係として結婚制度を造った。エデンの園のパラダイスで最初に制度化された家族を造った、と彼らは主張する…女は救いという点を除けば、男と等しくないと直ぐ言う」。かなり過激な言い回しです。
 そして「旧約聖書の族長たちはしばしば多くの妻たちを持った。アブラハムはおそらくサラ及びハガルと関係を持った。列王第一記を見れば、ソロモンは700人の妻と、300人のそばめがいた。それは男の空威張りのような印象を与える。結婚に関する実際の世界史を見れば、こうした創造論者の見解の証拠など見えない。見えているのは結婚が進化したという事であり、今も進化しつつあるという事である」と続けています。
 そして著者は古代ローマの世界での結婚と離婚の問題を論じ、北アメリカの実情にも言及しています。そして人間の歴史では、結婚はほとんど愛など関わりなかった。それは近代思想に属する。結婚における愛と相互の育成が主要な機能となったからには、同性結婚への門戸も開かれたのである。結婚はいつもこうだったという人は、結婚の実際の歴史を知らないのだ。いつも異なる形態、異なる社会的規則が付随していた。それらは結婚の機能が変化すれば、同じように変化した。現代は結婚の機能と言えば愛であり伴侶との相互支援である。そこにゲイのカップルも含めて欲しいと言われても、少しも驚くべき事ではない。異性のカップルと同じ必要や望みがある、と言っています。
 著者は最後に「結婚は淀んだ制度ではない。生きた進化論的なものであり、新たな環境に適応すべくその機能を満たし、常に形態を変えている」と結んでいます(要旨を粗訳)。
 それに対する反論としては、救い主である神イエス・キリストがこんな事を言っておられます。司式でも用いるみことばです。
 「しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」(マルコ10:6−9)。
 ここでキリストは創世記の第2章を引用し、さらに詳しく述べておられます。これが神の原則であり、キリストが創世記の記事を神話でなく真実の書とされた事を銘記しておきたいものです。確かに旧約の一夫多妻ばかりでなく新約でも、離婚についていろいろ触れられていますが、それは概ね「罪」が絡んでおり、決して神は祝福を与えておられるのではありません。ことは神の深い計画のうちにありました(私たちには分からない事もあります)。
 ですから神は同性愛のはびこったソドムを滅ぼし、新約の男女同性愛者たちを「恥ずべき情欲」と切り捨てられたのです。
 今米国サイトではこうした同性愛者の結婚などがごく普通に取り上げられていますが、日本もやがてそうした人々が増えて行くのでしょうか。