ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原子力災害対策本部でなぜ会議の議事録が残されていないのか

 2012年1月25日の朝日新聞に、「原発事故対応 議事録なし」という題のコラムがありました。
 それによりますと、この対策本部は昨年3月11日に作られ、12月26日までに23階の会議が開かれたそうですが、昨年5月段階で既に議事録を作っていない事が、当時の枝野官房長官により指摘されていました。それを受けて事務局の経済産業省原子力安全・保安院が作成する事になっていましたが、事故当時は勿論その後もずっと会議内容を公式に記録せず、議事録を作らなかったそうです。NHKの請求を受けて調べた結果、この1月24日その放置が明らかにされました。 
 この重要な会議で議事録がないというのは一体どういう事なのでしょうか。
 そもそも霞ヶ関の官庁の役人と言えば徹底した「文書主義」で、昔数回行っただけですが、やれここが不備だ、あそこは書きなおせなど本当にうるさい程でした。問題になっている原子力安全・保安院のホームページを見ますと、先頭にある企画調整課の所掌事務の中には「4.公文書類の接受、発送、編集及び保存。5.法令案その他の公文書類の審査及び進達。6.原子力安全・保安院保有する情報の公開…」となっていて、今回のような会議内容文書を作成しなかったという事自体「異常」であるのは、素人にも明らかです。
 朝日では「事故対応を決める重要な会議にもかかわらず、何が話し合われたを検証できないおそれがある」事を指摘していましたが、保安院では「緊急事態では事後的な作成が認められており、会議の内容や決定は記者会見を通じて説明している」と釈明したそうです。
 しかしこの事態を重く見た朝日は1月26日に社説を出し、この問題を論じています。その冒頭で「信じられない。政権の怠慢である」であると断じました。そして「自分たちの失策が後で露見しないよう、あえて記録しなかったと勘ぐられても、申し開きできまい」と述べています。
 勿論国際社会でも問題にしており、ロイター通信でも「日本の対策本部は原子力危機の対応に関わる記録を保管していなかった」という題で報じています。そして元原子力安全委員会委員長代理で原発推進派の阪大名誉教授住田健二氏にインタヴューを試みています。その回答は「何の記録も保管されていなかったとは想像もつかない。この危機後の極度の混乱の中では、公文書保管は難しかったかも知れない。しかし簡単なメモならとれたはずだ」というものでした。まして原発反対派としてはもっと厳しい見方です。
 この原発事故を丹念に追い続け、鋭く批判しているJUNSKYブログ(http://blog.goo.ne.jp/junsky/e/15643acda47e6d0bf90a42509f2568bb)では、「今どき誰かがICレコーダーなどで必ず録音しているはず」「パソコンで直接論議の要旨を文書入力できる秘書官は何人でも居るはず」「『速記官』も手配できたはず」と述べた上で、一般に「議事録は会議終了後に『議事録起こし』で作成するものだ」と述べています。これは当然の事でしょう。ですから続けて「『議事録が無い』と言うのは、自らの発言が世の中に明らかになっては困る、または、恥ずかしい政治家や官僚や保安院全員阿保等などの人たちが、発言を無かったものにするために『議事録も無かったことにしている』のだろう」と痛烈に批判しています。
 まさにそのあたりが真相でしょう。ですからこれから作成しようとしても、忘却のかなたに捨て去ったり、恣意的に曲げたものを思いついたり、都合の悪い事を省いたりという事は、彼ら頭の良い役人の最も得意とするところでしょう。
 聖書ではどうか。エレミヤ36章にもそうした箇所があります。幽閉されていた預言者エレミヤは、主から託されたみことばを書記バルクに口述し、バルクはそれを書き記して「公文書」としました。ユダの王エホヤキムの時は、バビロン帝国の災いが今にも押し寄せて来ようとする危機的時期でした。そこでバルクは一刻の猶予も赦されない中、すべての民に聞こえるようその「公文書」を読んで聞かせました。それを王宮で待機していた書記や居合わせた首長たちが聞き、これは大変だと思い、エホヤキム王の所へその「公文書」を持って行き、王やその取り巻きたちにも読み聞かせました。
 しかし王は内容がはなはだ自分の都合に悪いものだったので、その「公文書」をなかった事にしようと、小刀で割いて暖炉の火で燃やしてしまったのです。
 「エフディが三、四段を読むごとに、王は書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ、ついに、暖炉の火で巻き物全部を焼き尽くした」(エレミヤ36:23)。
 王は書記バルクも預言者エレミヤも抹殺しようとしました。主なる神への畏敬の気持ちなど全くありませんでした。
 しかし主のみことばは完全に且つ永遠に残ります。聖書という公文書を通してです。
 ですから主は再びエレミヤに臨み、書記バルクにその公文書をことごとく記させられたのです。「エレミヤは、もう一つの巻き物を取り、それをネリヤの子、書記バルクに与えた。彼はエレミヤの口述により、ユダの王エホヤキムが火で焼いたあの書物のことばを残らず書きしるした…」(エレミヤ36:32)
 勿論エホヤキムは神によって罰せられました。バビロン帝国の攻撃でエルサレムの門まで引きずられ、悲惨な最期を遂げたようです。原子力安全・保安院のメンバーも悔い改めない限り、同じような最期となるでしょう。