ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ラファエロについて

 2012年2月1日の朝日新聞「はみ出し歴史ファイル」という欄では、ルネッサンス時代に於けるイタリアの巨匠ラファエロを取り上げていました。
 ウイキペディアによりますと、ラファエロ(1483〜1520年)は、イタリア・ルネッサンスの時期の代表的な画家の一人です。レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)、ミケランジェロ(1475〜1564年)と並ぶ巨匠です。年代で見ますと、3人とも重なっている時期があります。
 なぜ並べてみたのかと言いますと、ラファエロの代表作の一つ「アテナイの学堂」で、描かれている二人の人物(左がプラトン、右がアリストテレス)について、彼はダ・ヴィンチミケランジェロをモデルにしたと言われているからです。

 25歳でローマに出たラファエロは、時のローマ教皇ユリウス2世に雇われたそうですが、その時ヴァチカン宮殿に掲げられたのが、上記の「アテナイの学堂」です。しかし彼はもっと早くから「聖母マリア」を多く手がけていました。この聖〜ですが、カトリックでは「聖人」と言われている人々の名前の頭に付けます。バプテスト教会では勿論「聖者」はキリストだけです。ですからカトリックはイエスの母マリアも聖人として崇める事を強いたわけです。それはとりもなおさず聖書で禁じている「偶像礼拝」に相当します。

 彼がローマ・カトリックの信者であったかどうか定かではありませんが、私は朝日の記事を見る限り、少なくもクリスチャン(=キリストを真似る者として付けられたあだ名で、使徒11:26に出て来ます。「このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった」*口語訳)ではありませんでした。また上記プラトンアリストテレスギリシャ哲学の後、その影響を受けた「ストア派」とか「エピクロス派」の哲学者たちが輩出しましたが、同じ使徒行伝の17:18を見ますと、アテネの会堂にいたその派の人々は、使徒パウロが宣べ伝えたイエス・キリストの事を、全く無視しています。こうした事を考慮しますと、私は彼が信仰を持っていなかったのではないかと思います(そればかりは神のみぞ知るですが)。
 それで朝日の記事ですが、「奔放な女性関係は若い頃から有名だった。愛人をアトリエに住まわせて情事を重ねつつ制作に励んだこともある。絵のモデルの多くは愛人だったという説もある…放蕩が過ぎ…」と書かれています。この記者はよく調べたと思いますが、それからしても彼が聖書で言う「放蕩息子」(ルカ15:13)であったのは間違いないでしょう。でも聖書の放蕩息子は悔い改めて、父なる神のみもとに帰りました。ラファエロは帰らず、「突然高熱を発し…37歳の誕生日にあっけなく死んだ」のです。彼がミレーのような敬虔なクリスチャンだったら、どんな絵画を描いたでしょうか。