ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

在宅緩和ケアではプロ中のプロの岡部健医師

 「ヤコブはその子らを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう」(創世49:1)。
 
 新聞の広告から岡部健という宮城県名取市に緩和ケア医院を開業した人の事を知り、私としてもそうした分野には大いに関心を持っていたので、奥野修司著『看取り先生の遺言』という本を借りて読みました。

 岡部医師は1950年栃木県小山市生まれ、東北大学医学部を卒業し医者となりました。私の尊敬する小出裕章氏の1年後輩に当たります。接点は東北大学封鎖で飲み屋や映画館通い、封鎖が解けて機動隊に蹴散らされた時、逃げて滑り込んだアパートに小出氏が住んでいたという点です。
 奥野氏の編集による岡部医師の遺書では、学生時代およそ勉強しなかったそうで、よく国家試験に通ったものだと感心しましたが、読み進めて行くうち、この人はそれまでの緩和ケア専門医師とだいぶ違うという事で興味を抱き、熟読した次第です。
 岡部医師は1978年に大学を出た後、付属の抗酸菌研究所に入り、研究と肺癌の外科的治療を行っていました。手術中やその後に患者がバタバタ死んでゆくのを残念に思っていました。やがて岡部医師は静岡建立総合病院に転勤になりましたが、その時はまだ、医者は自分の技術で患者を治せると過信していました。ところがここで人工呼吸器をつけた患者さんから、気管チューブを拒否されました。「お前が若くて一生懸命だったから我慢していたが、もういい加減にしてくれ!」。ここから岡部医師は医療への視点を変えています。
 1990年宮城県立がんサンタ―が開業し、再び仙台に戻されると、さらに考え方を変える別の患者さんと出会いました。完治の見込みがない事を伝えると、「うちに帰らせてください。もちろん責任もって診てくれるんですよね」と言われました。岡部医師が訪問すると、この患者さんは「おじいちゃんがお迎えに来た…」と言います。最初面食らった岡部医師ですが、この「お迎え」現象をしかと受け止め、以後終末期の「お迎え」を真面目に考えるようになりました。そして何と担当の患者約20人全員を家に帰すという大胆な決定をしています。
 そうしているうち、外来と往診の二足のわらじが穿けなくなる事が分かり、1997年突然がんセンターを辞め、宮城県名取市で在宅専門の診療所を開業しました。廃屋のような場所を借り、機械も購入せず、ボロ屋のような診察所で外来と在宅を兼ねやっていましたが、夜は待合室に岡部医師が酒を持ち込み、にぎやかな宴会となりました。するとやがて患者さんがどんどん増え、遂に岡部医師は在宅に特化しました。以後2010年自身に転移性の胃癌が見つかったものの、在宅緩和ケアを続行、2011年の3・11大震災も経験し(信頼する訪問看護師を亡くしてから、さらに人生観が変わったそうです)、2012年に62歳で亡くなりました。
 この岡部診療所では、年間に看取る患者数300人、全国でもトップクラスだそうで、そこでの臨床経験は日本一とも言えそうです。それはこの本を読めば分かります。
 岡部氏は現代の長寿信仰を否定し、人間60歳まで生きれば良かったと思う気持ちを大切にしています。そして自らの死に直面して、死への道しるべがない事を痛感しました。身体の痛みで言えば、末期のがん性疼痛制御の記述だけ見ても、氏が並みの医者でない事が良く分かります。それは麻薬の細かな管理で遺憾なく発揮されています。実はモルヒネなどの麻薬は、「本当は怖い薬」なのです。その過剰な投与が実は安楽死を作り出す可能性があるからです。氏はこの麻薬の使い方に自信を持てるようになりましたが、ここで死にゆく患者の看取りをどうするかという大問題に直面しています。上述の「お迎え」を訴える患者さんの数がすごく多いからでした。そしてあの世とのつながりが出来ていないから、死に対する恐怖や不安が生じて来る事を突き止めました。氏が実施したアンケート調査もそれを裏付けています。そしてそれは科学信奉の医者には全く理解出来ない事でした。
 こうして氏はあの世からの守りがあるから、患者は穏やかに死ねるのだと言い切ります。その時人間の身体は、どこの臓器が不全になっても、苦痛が除去できるように造られていて、夢見がちに苦痛なく旅立てるという事でした。そういう仕組みは人間誕生の時からプログラムされていると、氏は推測しました。死が近づくと、水が飲めず、おしっこが出なくなり、痩せ、食べ物がのどを通らなくなります。意識も朦朧となりますが、実はそれは死に至る過程で避けられない生理現象だそうです。これを知っておく事が本人にとっても、見守る家族にとっても大切です。それを助けるのが、もはや医者ではなく「宗教者」の役割です。そこで最期の迫った岡部医師は東北大に「臨床宗教師」を育成する講座を立ち上げてもらいました。そこら辺の詳しい事は2012年の河北新報で紹介されています(http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1096/20120825_01.htm)。
 まだ若い、惜しい人を亡くしました。しかし岡部医院は今も氏の遺志を受け継いで、立派に在宅緩和ケアを続けています。