ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

自制心は訓練で本当に培う事が出来るのか

 2012年3月8日のサイエンスデイリサイトでは、「攻撃性に歯止めをかけたいですか?それなら自制心を実践する事です」といった題の論文紹介がされていました。米国科学的心理学会(APS)の機関紙に載ったものと同じです(http://www.psychologicalscience.org/index.php/news/releases/want-to-limit-aggression-practice-self-control.html)。いつものように詳しい内容は閲覧出来ません。
 書き出しはこうです。「他人に怒りを感じてむっとしてしまうのは日常生活の一部ですが、大抵の人は一時の衝動に駆られて行動を起こすような事はありません」。そうした同僚への攻撃を抑えるのが「自制心」というわけです。研究者たちは、その自制心を使い果たす事も、実践により強化する事も出来る事を発見しました。ニューサウスウェールズ大学の研究者ら3人が論文を纏めました。10年間の研究と実験で、実際自制心と攻撃性には密接な関連がある事が分かりました。
 研究者たちは被験者の目の前にあるクッキーを取ってはならないと告げ、しばらくその状態で自制心を使い果たすところを観察したわけですが、確かにその時被験者に攻撃的なふるまいが見られる、攻撃的な反応が出るという事が分かりました。それは脳のスキャナーで確認されました。
 一方右利きの被験者に左手でPCのマウスを動かしたり、コーヒーをかき回したり、ドアを開けさせたりしました。2週間後そうした自制心を実践した人々は、攻撃性をうまく制御出来たそうです。

 ですから怒りや暴力の問題と闘っている人々に、余裕をもって自分を制御するよう教える事は可能だという事です。長期にわたる自制心の実践で、その能力はもっと強化されるそうです。最初は難しくても、何度も挑戦する事で自制心が豊かに培われるようです。
 でもこの論文を読みながら、かなり大まかな研究だと思いました。だいたい人々は経験的にその事は分かっているのではないですか。但し現代のような競争社会にあって、自制心を培う努力をしている人々はどれ位いるかとなると別問題です、
 聖書では全く別の観点から自制を述べています。それは「御霊の実」であって、信仰心のない罪深い人が、行いによって自制心を培うのは不可能だという事になります。それほど攻撃的な性格は直らないと言ってよいでしょう。信徒は神の御霊の力により、柔和とか自制を身に付け、さらに強めて行く事が出来ます。
 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません」(ガラテヤ5:22−23)。
 ですから牧師とか伝道者にはとりわけ自制心が要求されます。
 「監督は神の家の管理者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、けんか好きでなく、不正な利を求めず、かえって、旅人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり…」(テトス1:7−8)。
 でもこの聖霊の力にいつも頼らないと、自制心は難しいというのが、私の実感でもあります。