ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

根津から言問通り、東大赤門までの散策

 2012年4月9日、糖尿病の平均値が上がっている事もあり、天気がよいので、思い切って千代田線の根津で降り、言問通りの坂を上って東大工学部から赤門まで散策してみました。帰りは上野の不忍池を回り、見事な桜を見ながらJR常磐線を利用しました。
 なぜ根津からと言いますと、最近ブログに山の手と下町の事を書き、iireiさん(http://d.hatena.ne.jp/iirei/)に、本郷の東大工学部から延びる坂道を利用した事があるなら、どのルートで下町まで下りて行かれたか伺っていたからです。根津が気に入っていたとの事で、その下町から坂を上ってみた次第です。

 それまでお茶の水駅から北を西に歩き、湯島の順天堂大学病院までしか行った事がなかったので、是非その反対方向から赤門まで歩いてみたいと思ったのです。その正門や赤門については、また別のブログで触れます。
 根津駅周辺はそれほど賑やかではなく、そこから不忍通りを歩くとすぐ不忍池に出られるので、そちらが遙かに東京ウオッチングにふさわしいからなのでしょうか。9日は桜が満開で花見客でごった返していました。私はそうした人込みが嫌いなので、人の群れをすり抜けて上野駅まで行ってしまいました。画像右の坂を下り、根津の駅を右折してしばらく行くと不忍池に着きます。

 それで根津からそれほど急でない弥生通りの坂を上って行くと弥生町に出ます。上り切ったところに、弥生貝塚があった事を示す石碑があります。

この貝塚は1884年に坪井正五郎らが発掘しました。そして出土した土器から弥生町の名称を採り入れ「弥生式土器」と命名されました。この遺跡があったという事は、東大工学部が山の手にあり、そこからなだらかに下がる坂が続き、湧き水の流れる所があったからでしょう。
 iireiさんは学友とこの坂を下って根津の落ち着いたところへ行かれたようです。途中学問の事など熱く議論しながら歩いて行かれたのではないかと、勝手に想像しています。留年という挫折があったそうですが。
 実はこの復活祭の季節にふさわしい光景があります。山の手に相当するエルサレムから、11キロ離れたエマオという村(おそらくは坂を下って)に行く途中のクレオパという弟子ともう一人の弟子の事です。彼らはキリストが十字架に付けられた後落胆していました。重い足取りで向かいましたが、そこに復活のキリストが出現されたのです。でも彼らは復活が信じられなかったので、話しておられるのがキリストとは気づきませんでした。そこでキリストはもう一度彼らにご自分の事を解き明かされました。
 すると彼らの「心はうちに燃えて…」来ました(ルカ24:32)。でもまだ復活のキリストとは分かりません。そうこうしているうちに村に到着したので、二人はキリストを家に招待し、食卓の準備をしました。その時不思議な事が生じました。
 「彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった」(ルカ24:30−31)。
 この復活のイエス・キリストに直接出会えた弟子たちは幸いでした。今日の私たちは「見ずに信じる」幸いな者となれるでしょうか?