ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

主の風で花はしぼむ

 2012年4月12日はよく晴れた日で多少風があり、近くの新坂川沿いに並ぶ賃貸マンションの並木道に植えられた桜が散って行くのをデジカメに収めました。

 私が閲覧しているブログサイトでも、皆様が素敵な桜の写真を撮っており、私もそれにあやかった次第ですが、今一つニコンの安いデジカメが気に入らず、出来がよくありません。
 歩いていますと、はらはらと散った桜が路上や新坂川に落ちて行きます。私の撮影目的はその見事な桜より、散って行くほうにありますから、皆様とは趣を異にしています。その散った桜の味気ない写真を載せました。新坂川は1級河川ですが、近くの工業地帯からの排水で汚れています。でも下流の松戸沿いでは、子どもたちが釣り糸を垂れており、時々大きな鯉を釣っています。
 その川を桜が流れて行くわけですから、方丈記冒頭の「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、且つ結びて、久しくとどまりたるためしなし」を連想させます。こちらの「うたかた」は「水の泡」という意味だそうです。


 皆様もやはり急に咲き、すぐ雨や風で散って行くこの桜に何らかの思いを抱いて鑑賞しているのでしょう。先日の上野公園では桜の木の下で賑やかな酒盛りが行なわれていました。
 ところで聖書でも、そのように短い桜の「生涯」が人生のはかなさを表わす為に使用されています。
 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る」(ペテロ第一2:24)。
 これはブラームスの「ドイツレクイエム」の第二楽章で用いられています。荘厳さがあります。ところがそれは曲の途中からぐっと変ります。なぜか?このペテロの手紙の続きにこうあります。
 「しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない」。
 そのように主である神は永遠に生きており、そのみことばも永遠に廃る事がありません。そしてこの主に頼る人も同じです。ソロモンという人は「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた」(伝道3:11)と言いました。束の間の桜の鑑賞だけでなく、目を永遠の神の御座がある天に向け、その神から永遠のいのちを頂ける人は幸いです。