ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

鯉のぼりー重力に逆らって

 2012年5月4日近くを流れる坂川に吊り下げられている鯉のぼりを見に行きました。

 この行事は1994年から毎年ゴールデンウィーク期間に、この川の約2キロの区間で行なわれていますが、その目的は坂川の水質浄化を願っての事だそうです。
 坂川は昔逆川と呼ばれていたそうで、松戸市の北西部に当る流山市に水源があります。そこから松戸市市川市を通り江戸川に合流します。
 なぜ逆川と呼ばれていたのかという事の理由ですが、大雨により頻繁に下流の水が逆流し、流域に水が溢れ出たからだそうです。従ってそこは低湿地帯で、長らく農業が出来ませんでしたが、1692年江戸幕府は新田開発を活発に行い、私の住む場所を含めた広い地域に新田が出来るようになったとの事です。しかし治水をどうするかでもめごとが絶えなかったそうです。
 1932年新しく新坂川の掘削が始められ、完成を見たわけですが、それが私のマンションのすぐ側を通っています。そして坂川を排水、新坂川を用水として機能するようになりました。ただどちらもおよそ清流というには程遠い状況です。
 坂川の水質浄化の願いは一部適い、私はしばしばその付近で少年たちが釣りをして、大きな鯉を釣り上げていたのを目撃しました。
 鯉のぼりの由来ですが、ネットの情報によると、「男の子が元気に大きくなること」を家族が祈願してたてたもので、やはり江戸時代から始まったそうです。「天の神様」に祈って、子どもの守りを「伝えた」との事です。

 キリスト教会では、集っている信仰の家族の子らの成長を天の「父なる神」に祈ります。その意味で「鯉のぼり」が特に話題になる事はありません。
 川の上で風に乗って流れるような鯉のぼりの光景を見ますと、有名な説教者だった本田弘慈先生の事を思い出します。ラジオで聴いた説教では、信仰の決心者が起こされると、よく「電信柱に花が咲き、焼いた魚も踊り出す」という例話を中に入れていました。それほど信仰を持つという事は、神の奇跡的なみわざなのです。茨城の鉾田にいた時、それが地元鉾田一高の校歌の一部である事を、その高校出身の求道者の方から聞きました。
 鯉があたかも重力に逆らって空気中を泳いでいる光景を見ていて、聖書にある奇跡のうちの一つを思い出しました。それが第二列王記にあります。
 「ひとりが材木を倒しているとき、斧の頭を水の中に落としてしまった。彼は叫んで言った。『ああ、わが主。あれは借り物です。』神の人は、『どこに落ちたのか』と尋ね、その場所が示されると、枝を切り取ってそこに投げた。すると鉄の斧が浮き上がった」(列王第二6:5−6)。
 面白い記事ですが、沈んだ鉄の斧が水の上に浮き上がるという奇跡は、神の御力、栄光を示すものです。神なら何でもお出来になりますが、それは主に聖書で完結しています。今日見られる最大の奇跡は、人が救い主イエス・キリストを信じるという事です。