ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

千駄堀の湧水池まで自転車で

 2012年4月30日、薄日でしたが松戸市に住む者としては、自転車で20分もあれば行ける千駄堀という高地に囲まれた広い低地帯を見学して来ました。
 これは北松戸駅反対側の坂を上り、私が通っている市立病院(老朽化しており、移転地はこの千駄堀にほぼ決定)のところを左折し、まっすぐ坂道を下って行った
ところにあります。写真左が市立病院です。

 まず右手に松戸市運動公園がありますが、それは低地なのでこの千駄堀の西端に相当するのでしょう。台地との差は30メートルほどだそうです。右図の運動公園のグラウンドが画像真ん中に見えます。

 しかしこの千駄堀は南北を走る武蔵野線と、その東の計画道路(前のブログで紹介した関さんの森を通る。やはり南北に走る)で分断されていて、その間に挟まれた部分に千田堀池があり、計画道路の東に「森のホール21」(音楽を聴きに行った事があります)が建っていて、そのあたり一帯を「21世紀の森と広場」と呼んでいます。
 そこに運動公園を見下ろす道をまっすぐ下って行った所に、湧水広場があります。小さな池があって覗くと鯉が泳いでいました。水はそれほどきれいではありませんでした。しかしこの台地の上には縄文時代や先土器時代の遺跡があるので(もしかしたらその一部を今年発掘するかも)、大昔の人々は飲料水として利用していたでしょう。但し縄文海進でどうなったか、そのあたりは今一つ定かではありません。


 彼らが利用していた湧き水はいのちの維持の為に無くてはならぬものでした。勿論聖書時代も同じで、人々は井戸を掘ってその水を確保しました。ヨハネ伝ではイエス・キリストがその井戸の水を汲みに来た女と対話をしています。
 「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:13−14)。
 ここでイエスは霊的な渇き(これは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」{マタイ4:4}とあるように、人は決して物質的なもので真の充足は得られない為、一時的な満足があってもすぐまた渇きを覚える事)を言われました。そしてそれを癒す「いのちの水」を与えると約束されました。これはイエスの真理のみことばの教えであり、またそれを通して泉のように働かれる聖霊による新しい永遠のいのちの事でもあります。
 この聖霊という神は今日信じた人々の心のうちに住み、永遠のいのちの賜物を頂いた人々をさらに尽きぬ喜びで満たされます。信じた人々の心には、あたかも湧き水のように、尽きぬ豊かな恵みが溢れるほど与えられるという事でもあります。
 千駄堀に行ってその事をずっと考えていました。