ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

松戸市秋山の竹林を見に行く

 この2012年5月、松戸市では里山を開放して自然を楽しんでもらおうという企画が実施されました。
 その中に14日自転車で出かけた松戸市秋山の竹林も含まれていました。そこでデジカメを携え自転車で行って来ました。松戸は遺跡が非常に多いのですが、それは裏を返せば、坂道が多いという事でもあります。それでかなりの時間をかけて(1時間以上)、目指す竹林に到達したわけです。
 ちなみに竹林は前回出かけた戸定邸のある公園内部でも見かけましたが、比較的小規模で、それは秋山でも同じでした。

 その竹林ですが、原産は日本ではなく中国である事をネットから知りました。またそれが里山と低地を結ぶ緩衝地帯などに多く見られるという、ウイキペディアの記事にも納得しました。幹が肥大成長しないので、真っ直ぐ天に向かって、すらっと伸びており、それも地下茎によって間隔が狭く立っている様は、独特な景観を作っています。
 その節は数が60個くらいと決まっていて、タケノコの時から同じであって、節と節との間隔が広がる事で背が高くなる事を知りました。その成長は早く、タエノコの時から2ヶ月足らずで20メートルもの高さに達するそうです(http://www2u.biglobe.ne.jp/~waroh/plants/take-2.htm)より。中空で均一的な太さを保っているのも、なぜか不思議な感じがします。また浅い地下茎が張っていて、土砂災害には意外と弱いそうです。強風にあおられると、ざわざわしなる様が観察出来ます。
 一方「笹竹」では、茨城にいた時苦労しました。隣家のものがこちらの土地まで地下茎で伸び、切っても切っても生えて来るし、土地の境の土を深く掘って防ごうとしましたが、あまり効果がありませんでした。それで放っておいたのですが、隣家の人は除草剤を撒いてしまいました。私はそれだけは止めるよう言いましたが。

 この竹林の竹が生える状況を詩人の萩原朔太郎は、「月に吼える」の中に収まっている「竹」で、鋭く描写しています。
 かたき地面に竹が生え
 地上にするどく竹が生え
 まっしぐらに竹が生え
 凍れる節節りんりんと
 青空のもとに竹が生え
 竹、竹、竹が生え
 (*竹の詩の一部抜粋)
 これは竹が生え育って行く状況を活写した傑作ではないかと思います。
 キリスト教信徒も似て思います。一度新たに生まれると、キリストのみことばによって鋭く成長し、天に向かってまっしぐらに進んで行きます。世の快楽と決別し、凛々とした生活を送ります。その背骨はしっかりと組み合わされ屹立します。勿論信徒も世の強い波風であちこちにしなります。しかし倒れてしまう事はありません。キリストが土台だからです。
 「あなたがたは使徒預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です」(エペソ2:20)。
 そこが浅い地下茎から自力で伸びて来る竹との根本的な違いと言えるのではないでしょうか。