ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

創立150年を迎える靖国神社は何を考えていたのか

「人の子よ。これらの者たちは自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らに応じられるだろうか』(エゼキエル14:3)。

 靖国神社は今年で創立百五十年になり、それを記念する秋季例大祭が十月半ばに行われる。戊辰戦争における官軍側戦死者を慰霊する為、明治天皇の意向で建造されたという。

そもそもキリスト教では、カトリックを除き死者の慰霊という言葉は存在しない。ラテン語で作られたレクイエム(鎮魂曲)は、カトリック的色彩が強い。プロテスタントブラームスが作ったドイツ・レクイエムは、聖書のことばだけが採択されており、内容は今生きている信者の為の、慰めの曲となっている。

故に基盤の違う他の宗教を論じる立場にはないが、神社の宮司が何を意図していたのか、報道から多少関心を抱いた。だから少し歴史から調べてみた。

福島に引っ越して来て目立つのが、会津藩に象徴される旧幕府軍への哀悼の思いである。定説では敗軍=賊軍の遺体が粗末に扱われていた為に、今なお根強い恨みが残っているそうだ。すると上記例大祭など、福島では問題にもされないだろう。

また討幕運動の中心人物西郷隆盛でさえ、西南戦争を契機に賊軍となり、靖国に連なっていない。

私たちの世代では、1978年先の戦争でA級戦犯になった人々(東条英機松井石根ら死刑になった者を含む14人)が、合祀された事を記憶している。靖国神社としては、彼らは突出した偶像のようなものだ。

その時の神社宮司は合祀の理由について、「戦勝国による東京裁判を認めるわけにはいかない」という主張を通した。彼らは昭和の殉難者として靖国に加えられたのである。

これらの事例を見ても、靖国神社の頑なで偏った視点が浮き彫りになる。

この神社は戦前の国家神道の象徴的存在で、軍の直轄だったという。国はそれを実体のあるものにしようと目論んでいるから、気をつけなければならない。

そういう経緯もあり、今の上皇は在位中一度も靖国参拝をしなかった。それは主としてA級戦犯の合祀によるそうだ。逆に上皇は平和への願いを持ち続け、国内外の戦没者を追悼する慰霊の旅を続けて来た。

焦った靖国側は今回宮内庁に対して、天皇(現上皇)の参拝を求める異例の請願をしていたそうだ。しかし事実上断られた。

それを受けて昨年某宮司は、「陛下が慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていく」とか、「陛下は靖国神社をつぶそうとしている」と発言したそうだが、一宗教法人としては、政教分離の一線を超えた発言で、辞任は当然の事だ。

10月17日から20日までの秋季例大祭の動向を見たい。特にマスコミはどう報道するか注目したい。調べれば奥が深いので、ごく簡単に述べてみた。