ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

死ぬ気まんまんの佐野洋子さんの生き方

 私たちは一般に、医療技術の発達等により平均寿命が長くなっている現在、「生きる気まんまん」、あわよくば120歳までなどと考えているのではないでしょうか。ですから死の時の決定は神によるのに、70歳を越えてもまだ死の事に思い至らず、生き延びる為の手だてを躍起になって追い求めています。
 しかしそうではなくて、70歳で『死ぬ気まんまん』という題の随筆を小説宝石に連載し、乳がんの闘病を続けた佐野洋子さんの生き方は、私たちへの一つの挑戦と言えるでしょうか。

 佐野さんは1938年に中国で生まれ、帰国後に武蔵野美術大学デザイン科を卒業し、デザインやイラストの仕事を続けながら絵本作家にもなった人です。その代表的な絵本は『100万回生きたねこ』ですが、私はその名称を知ってはいるものの、読んだ事はありません。その後作家・随筆家としても活躍し、小林秀雄賞なども受賞しています。その受賞作が『神も仏もありませぬ』ですから、信仰については推して知るべしです。
 今度図書館で借りて読んだのは、佐野さん亡き後、光文社から出た上記『死ぬ気まんまん』と対談を含めた合冊です。
 佐野さんは有名なわりには、自由業を営み年金が少なく、貧乏な生活を送ったと冒頭部分で記しています。ですから乳がん手術後2008年に再発し、骨に転移しているのが分かった時、医者に余命どれ位か訊いたそうです。すると2年という答えがありました。さらにその2年間の治療費及び終末介護代を尋ねると、およそ1千万円だと言われたそうです。これは切実な問題です。私も年金がほとんど無いに等しいので、そんな治療費は出ません。2人に1人と言われるようになったがんですが、私ががんにかかったら佐野さん同様治療を止めて、ただ痛み止めだけにしてもらいたいと思っています。医療格差の時代、富裕な人だけが多少とも長く生きられるという時代になりました。
 ですから佐野さんはそんな治療費の代わりというわけで、最後の物欲として外車ジャガーを買って乗り回したそうです。残念ながら骨への転移でそんなに長く乗る事はなかったでしょう。タバコをすぱすぱ吸うのもこれまでどおり、かなり奔放な生活を送ったようです。この随筆は2008年〜2009年のもので、2010年に72歳で亡くなったという事は、だいたい医者の予測が当った事になるでしょうか。とにかく70歳でお金も少なくなり、死ぬ気まんまんなのに、なかなかそうならないと主治医に訴えています。「明るい悩み相談!」(中島らも)。
 これまで聖書の詩篇90:10から「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年」というみことばを何度か引用しましたが、佐野さんもちょうどその範囲に収まったという感じです。
 私と佐野さんはたぶんに似たようなところがありますが、明確に違うのが「信仰です」。
 「目の前で見たもの、さわったものだけがたしかだとしか思えなくなった」、「私は、あの世があるとは思っていない。あの世はこの世の想像物だと思う」、「私には宗教心というものが全く持てないのだった」。
 しかしパウロはヘブル書11:1でこう言っています。
 「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」。
 またイエスの十字架以後すっかり信仰が萎えてしまったトマスはこう言いました。
 「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」(ヨハネ20:25)。
 しかし主イエスはトマスにご自分のからだを触らせ、信仰を復帰させられました。
 佐野さんが日頃聖書を手にし、いろいろそこから学んでいたら、また違った人生の過ごし方もあったのではないかと思います。残念な事でした。