ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

再び国会周辺包囲デモへ

 2012年7月29日は日曜日で、教会の第一、第二礼拝を守った後直ぐ出て、東急田園都市線から、千代田線に乗り換え、前回の国会議事堂前駅ではなく、霞ヶ関駅で降りて国会議事堂に向かいました。7月13日の夜は、国会議事堂前駅の階段から先になかなか進めず、しかも目当ての議事堂まで行けず、警官の誘導のまま外務省の前で「原発再稼動反対」を叫ぶしかありませんでした。
 今回はまず日比谷公園で抗議集会があり、それから霞ヶ関を通って議事堂までのデモ行進となったので、それに間に合わなかった私は、一歩先に議事堂に向かう事が出来ました。潮見坂を北西に進み、信号を渡ると議事堂東側の正門へ向かう通りに出ますから、そのまま北に向かいました。

 しかしそこからは既に到着していた参加者の列で、前に進むのはほとんど困難になりました。前回と違い、ろうそくやペンライトをかざし、マイクを持参した人々もいた為、「音」ではない人間の真摯な「叫び」は、道を隔ててそびえる議事堂のほうまで届いたのではないでしょうか?

 写真左の中央に議事堂の建物先端が見えます。デモ参加者は本日の朝日によると、1万4千人ほどだったそうですが、そんなはずはありません!私たち全共闘の世代より若い世代の人々がほとんどを占めていました。福島原発の総括もないまま、一方的に安全宣言をし、大飯原発を再稼動させた野田首相への怒りが噴出していました。
 国会の周辺は機動隊の頑丈な警備車が囲み、庶民の声に耳を傾けないこの野田という独裁者や、彼を支える財界、官僚、議員らの厚い壁で、原発の象徴となった国会建物の「崩壊」は、極めて困難なようです。
 しかし私としては原発再稼動反対を勝ち取る事が、100パーセント近く絶望的だとは考えていません。
 聖書に出エジプトを果たしたイスラエルヨルダン川を初めて渡った時、その前にそびえていたのは城門を堅く閉ざしていたエリコの町でした。それを陥落させるのは不可能と思われました。しかしそれを実現させたのは主なる神です。
 「エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。主はヨシュアに仰せられた。『見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない』」(ヨシュア6:1−5)。
 これを見ますと、主はイスラエルの民に六日間エリコの町の周囲を一度回り、七日目に七度回り、その日祭司たちの吹く角笛に合わせ、民が大声でときの声をあげるべき事を命じられました。民はその事を疑わずに実行し、結果としてエリコの町の城壁は崩れ、町が崩壊しました。戦闘がなかったので、主による奇跡の力です。

 左図は城壁が崩壊した事を証拠づける考古学の画像です。それを現代に適用しますと、私たちは六日間と言わず、何十日、何百日も諦めず国会周囲を回る事です。そして角笛がなければ、マイクでも笛でも良いでしょう。それをかざして「ときの声」をあげ続ける事です。それに信徒であるなら「祈り」も加わるでしょう。
 原発再稼動でこれから下請けで過酷な労働を強いられている人々、直接大量の放射能を浴びた人々などを主体に、ガン死が相当増えて行くでしょう。いのちがはなはだ軽んじられています。一人でも多くの人々の救いを願っておられる神なら、その事はみこころでないと信じます。ならば原発廃止は必ず成就すると確信します。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう」(ヤコブ4:15)。私たちは生き抜いて、原発との戦いに勝利しましょう!