ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

被曝隠しとスクープするけれど

 2012年7月21日の朝日新聞1面では、「線量計に鉛板、被曝隠し」という見出しで、東電下請け会社の作業員に放射線の被曝線量を少なく見せかける為、線量計全体を鉛のカバーで覆っていた事を、スクープのように明るみに出していました。
 ちょうどその頃図書館から河上武志著『原発放浪記』と、淺川凌著『福島原発でいま起きている本当のこと』を借りて読んでおり、同じような箇所に付箋をつけていたので、そういう事実があった(ある)事は、とっくに知っていました。
 なぜならウイキペディアを参照しても、そうした労働者派遣を行う業者は、1975年頃から現れている事を記していますし、不法がはびこっているので、1999年に法の改正が行われ、その後も重ねて改正が行われていたからです。特に新自由主義政策を推進した小泉内閣の2003年改正により、いわゆる派遣切りが横行するようになり、格差は急速に拡大し、派遣労働者が一個の人間として扱われず使い捨てられている悲惨な事実は、今日に至るまで続き、上記の事件はその氷山の一角が露呈したに過ぎないと言えます。
 作業員の被曝限度は年間50ミリシーベルトと決まっていますが、多く被曝すると、3,4ヶ月でその量に達してしまいます。ですから本来ならそこで原発労働は中止、別の会社を捜さなければならなくなりますが、だいたいは失業となり、生活が困窮してしまいます。

 上記河上武志氏によると、美浜原発では線量計を外して作業を行い、且つ元請会社の監督もそれを命じていた事が分かっています。河上氏はその高濃度の放射線が飛び交う中で作業を続け、浜岡原発の時代そこを解雇された後、体の異常を感じて病院に行ったら、大腸がんと診断され手術を受けました。勿論原発との因果関係など立証のしようもありません。
 同じような事は福島第二原発建設にも関わった原子力の専門技術者で、第一原発の主任指導員だった淺川氏も指摘しています。外部被曝線量計で何とか防げるとしても、内部被曝については、特別なホールディングカウンターという器械が必要です。しかしその数は津波被害などで極端に少なく、順番待ちになりますが、その先頭に来るのが東電社員である事は、言うまでもないでしょう。この理不尽さに現場の作業員はどんどん辞めて行きますが、悪質な末端の業者が高賃金を餌に非熟練者を調達して来るそうです。原発放射能の怖さが分からない人々がリクルートされてきます。
 7月26日の朝日新聞によると、そうした請負作業員の被曝は、電力社員と比較すると実に4倍にも達するそうです。それは東大教授で計量経済学が専門の縄田和満氏が4年前既に指摘していたそうですが、電力側の集中攻撃にあって嫌気がさしていたところ、最近思い直し、世界にも問題を発信してゆくそうです。
 おそらく鉛カバーをつけさせられた人も、美浜のように線量計でさえ外された人も、遠からずがんになるでしょう。
 電力会社の正規社員と何の保障もなく、代替可能な部品で人としては扱われない請負作業員、この対抗の図式はよく考える必要があります。
 勿論トップの電力会社役員の責任は問われますが(問われなくも問います)、そうではないとされる一般電力会社社員はどうなのでしょうか?
 1969年頃の東大日大闘争で問われた事は、今自分が携わっている仕事が、社会との関わりで一体どうなのだという点を掘り下げて考える事でした。そこから特権を得ている研究者たちの自己否定運動が生じたわけですが、今また電力会社社員個人にその問いが投げかけられるでしょう。
 もし東電などに勤めている一人一人の社員に、上司やトップの悪が見えていないなら、罪は問われないかも知れません。しかし新聞を始めとするマスコミ報道で、こうした下請けの派遣労働者たちにのしかかる理不尽な重荷を見て、見ぬふりをしているなら、その罪は残ります。
 「イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」(ヨハネ9:41)。 
 終末が来た時、一人一人がキリストの裁きの御座で、派遣労働者のいのちを軽視してきた行為に対する申し開きをしなければなりません。そして裁きが行われます。
 「人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた」(黙示20:13)。
 もし人間らしい人間になろうとするなら、かけがえのないいのちを賦与される創造主を信じ、その被造物である人間を限りなく尊ぶ事です。一切の差別なく!