ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

現代に蘇った人生の弱者カフカ

 2012年2月13日の朝日新聞に、「絶望の言葉 救いの力」という見出しで、フランツ・カフカの事が論じられていました。
 カフカと言えば、その代表作は「変身」ですが、もう大分前に読んだだけで、あまり印象に残っていませんでした。

 彼が『変身』を書いたのが1915年、結核で亡くなったのが1924年という事ですから、かなり過去の人です。それが朝日の記事で現在に蘇っているという事ですから、不思議なものです。しかも「絶望のことば 救いの力」などとあるものですから、その一見矛盾した言葉にどういう意味があるのか知りたいと思い、頭木(かしらぎ)弘樹訳・編『絶望名人 カフカの人生論』を図書館で借りて読んでみました。特徴は見開きのページの右側にカフカの文章、左側に頭木氏の解説が載っている事です。しかもその内容は日記や手紙など短いものが主体で、長編小説からの引用などありません。
それを朝日の記者がどう解説していたのかは、スクラップしたものが紛失した為、よく覚えていません。そこではてなのブロガーであるkaoriboccoさんの文章を参考にさせて頂きました(http://d.hatena.ne.jp/kaoribocco/20120228/p1)。
 それによりますと、この本はカフカの「絶望の名言集」とありまして、確かにそうした文章が一杯出て来ます。そしてそれらは現代の病弊を先取りしたようなものが多くなっています。例えば「ひきこもり」「自殺願望」「不眠症」「仕事の為の出社拒否」「いじめ」「神経質な小食」「存在の大き過ぎる父親」「弱気からの婚約破棄」等々。
 「ぼくは学校の成績が悪かった…母は、先生たちがぼくをいじめているのだと思い込んだが、ぼくが転校し、そこで以前より悪い成績をとったので、もの悲しく問いかけるような視線をぼくに投げかけた…」。
 「ぼくの勤めは、ぼくにとって耐えがたいものだ…」。
 「三度の婚約のすべてに共通しているのは、いっさいの責任はぼくにあり、すべてぼくのせいだということです。二人ともぼくが不幸にしました。それも、ぼくに結婚する力がなかったからです…」。
 kaoriboccoさんの感想はこうです。「私は、ポジティブで力強い言葉だけがひとを励ますわけじゃないってことを改めて感じる…」「弱さの露呈は、人を感動させることがある。弱さすら、人を救うのだ…」(銀色夏生さんへの言及)。「誰かのかなしみとか絶望から生まれたことばや作品は、ほかの誰かの絶望に寄り添い、『絶望しきる』プロセスの助けになってくれるのだろう」。
 編集した頭木さんも「心がつらいとき、まず必要なのは、その気持ちによりそってくれる言葉ではないでしょうか。自分のつらい気持ちをよく理解してくれて、いっしょに泣いてくれる人ではないでしょうか」と言っています。
 私はそれこそ救い主イエス・キリストが地上に来た時成された事だと考えます。
 「私たちの大祭司(=キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」(へブル4:15)。
 「…泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ12:15)。キリストも泣く者たちと共に泣かれました。
 従ってキリストにあっては、「真実の道を進むためには、一本の綱の上を越えていかなければならない…それは歩いていかせるためよりも、むしろ、つまずかせるためのものであるようだ」というカフカの考えとは、真っ向から対立します。なぜならこのキリストの力は、信じる人々の弱さのうちに完全に現れるからです。ですからキリストの道を歩む人は以下の通り。
 「こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない」(箴言3:23)。