ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

高輪泉岳寺に四十七士の墓を見に行く

 2012年7月30日暑い一日でしたが、午前にJR常磐線で上野に出て、京浜東北線で品川の一つ手前にある田町にて下車しました。そこからおよそ15分歩くと、高輪泉岳寺に辿り着けます。都営浅草線なら「泉岳寺」という駅があります。
 既に鳥取・八尾日記のmatsukento様が今年2月に訪れ、同じような写真を撮っておられます(http://d.hatena.ne.jp/matsukento/20120207/1328567814)。
 私はとにかく初めてなので、前のブログ吉良上野介邸訪問との対比で行って見ました。その時コメントして下さったiireiさんの小林秀雄著『忠臣蔵1,2』を携えて。
 ます泉岳寺の正面からの画像です。左手の奥に四十七士の墓があります。

 墓は整然と並んでいますが、誰のか分かりにくいので、墓所手前に案内図がありました。

 それによりますと、一番奥の右隅が大石良雄の墓となっています。写真下が大石の墓です。

 案内図に従って一人一人戒名になっていても確認出来ます。大石主税堀部安兵衛らは、大石の墓からすると、一番奥の左隅になります。とにかくきちんと並んでいて印象的でした。

 四十七士の事はあまりに有名なので、今ここではあまり触れません。実は四十八人の墓があって、右図の左手前に書かれている如く、萱野三平(周囲に反対され、討ち入り前に切腹)の墓が入っている事が分かります。吉良と浅野との関係、大人による「いじめ」と「私怨」だったのでしょうか。ただ徳川綱吉による裁きが公平でなかった為、上記小林秀雄によりますと、「人数を増やした大喧嘩で始末をつけたというだけのことだ」と、にべもない言い方をしています。別にこの喧嘩で社会が変わるとか、人々の暮らし向きが変わるとかいう事はありませんでした。しかしいち早く「芝居」が現れた事で、浅野や大石への同情心が募ります。大石は復讐心を増幅させた事でしょう。
 小林は「今日では、法が復讐を否認しなければ、社会は保てぬということになったが、どこの国の人々も、復讐の掟を認めなければ、社会は保てなかった長い歴史の重荷を負っている」と書いています。前にも記した事がありますが、モーセの律法には十戒の後、例えば「人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない」(出エジプト21:12)という、生命の剥奪者に対する極刑の規定がありました。そして有名な「いのちにはいのちを与えなければならない。目には目。歯には歯。手には手。足には足。やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷」(出エジプト21:23−25)が続きます。
 注解書によると、それは「人間の心の奥底にある無制限報復に対して制限を加え、同量の報復をもって満足すべきことを規定したもの」とあります。
 それはイスラム教徒に見られる際限なき血の復讐とは異なります。
 小林はそのあたりで一箇所大きな間違いをしています。「キリストが、山上の垂訓で、『右の頬には、左の頬を』というとんでもないパラドックスを断乎として主張したのは、『目には目を、歯には歯』という人間的なあまりに人間的な悲しい掟について考えあぐんだ上であった」。
 この山上の垂訓はキリストの弟子たちだけが対象です。彼らには「いかなる侮辱にも憤らず、いかなる軽蔑にも報復しない」事が命じられました。「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」(マタイ5:39)の真意はそこにあります。文字通り右の頬を叩かれて、左の頬をも向けるという事ではありません。「とんでもないパラドックス」は小林の誤解であり、「目には目を…」は未信徒に見られる無制限の復讐心という人間的な悲しい掟であるのに、信徒にも敷衍させ捉えてしまったのです。さらにキリストはそのような未信徒の野蛮な復讐心を「考えあぐんで」はいません。旧・新約とも彼が著者です。旧約は人々にそうした罪の恐ろしさと刑罰がある事を教え、新約はそれにもかかわらず神による愛の赦しがある、つまり罪からの救いがある事を述べています。
 大石は主君の無念に吉良への復讐をもって応えました。切腹の時の心中は果たしてどうだったでしょうか?