ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原子力規制委員会の人事が野田首相の独断で決まってしまう

 2012年9月5日の朝日新聞に「原子力規制委、首相任命へ」という題で、可決したこの法の付則にある規定により、国会の承認を得ないで首相が独断で委員5人を決めてしまうという暴挙が、9月中旬にも決まるという記事がありました。
 この委員5人が原子力ムラと全く無関係でない事は、既にブログでも触れましたが、朝日は別の紙面でも「規制委の独立性骨抜き」と報じています。
 私たちは普段法律とは無関係に近い状態で暮らしています。それが切実になるのは、例えば自動車事故を起こして免許が停止になるとかいった場面などでしょう。まして法案をいちいち国会議員と同じように調べるなどという事は皆無に近いと思います。
 しかし今回この国の原発廃止までを監視する原子力規制委員会設置法に基づく委員の任命の箇所を見ますと、私も勉強不足だった事を認めざるを得ません。
 そもそもこの「付則」条項、勿論官僚が作成したのでしょうが、そこに彼らの既得権を担保する形での文言が盛り込まれているというのが常識のようです。
 その事を私は異色の官僚だった古賀茂明氏の『官僚の責任』から知りました。

 古賀氏がまだ現役の頃の2010年6月、いわゆる天下り防止の為、「退職管理基本方針」という文書が出され、8月に具体的な「官民人事交流関係人事院規則の一時改定について」という文書が出されました。そこで古賀氏はこの文言にある「」という言葉に気をつけて欲しいと言っています。なぜならこの「等」という言葉は官僚がごまかしの為に良く使用するテクニックで、実際の内容をまるっきり変えてしまう事が出来るからです。
 そしてネットからそのPDF文書を調べてみると(http://www.jinji.go.jp/kisya/1008/kanminkaisei0816.pdf)、3ページある文書の2ページ終わり近くに、「適切な運用の確保のための対応」という項目があり、これが古賀氏に言わせると、上記「等」に相当するそうです。「規則には書いていないけれど、こういう運用をします」という意味になります。かくて官僚の天下り防止規則は全く骨抜きにされてしまうわけです。
それは「付則」そのものではありませんが似たようなもので、今度の原子力規制委員会設置法本文(*PDFファイルでネット検索により見られます)にも適用出来ます。その第7条は「委員長及び委員は、人格が高潔であって、原子力利用における安全の確保に関して専門的知識及び経験並びに高い識見を有する者のうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する」となっていますが、その付則第5項に「委員長又は委員につき任期が満了し、又は欠員を生じた場合において、国会の閉会又は衆議院の解散のために両議院の同意を得ることができないときは、内閣総理大臣は、第一項の規定にかかわらず、同項に定める資格を有する者のうちから、委員長又は委員を任命することができる」とあって、まるで官僚たちは現在の事態を予測した上でこの項目を入れ、彼らのロボットである野田首相に委員を決めさせてしまおうという魂胆だったように推測されます。

 さらにこの規制委員会設置法案の第1条目的には、その文言の最後のほうに「我が国の安全保障に資すること」という文を付け加えていました。弁護士の宮武嶺氏(http://blogos.com/article/41761/)は、ブログで「完全にしてやられました!」と言っていますが、この第1条に入れたのは官僚というより、自民党塩崎恭久議員あたりだそうです。この一言でプルトニウムの軍事利用が可能になってしまいました。被爆国日本が今度は余っているプルトニウムを用いて堂々と核兵器の開発をするかもしれません。
 こうした法律の本文に「付則」を付けて、その主旨を台無しにしてしまう手口、実は聖書の学者・パリサイ人らの得意とするところでした。
 「あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている」マルコ7:8)。
 彼らは律法の本文に自分たちに都合のよい項目を、微に入り細をうがちつつ付け加え、庶民に重い負荷を与えたのです。彼らこそ現代の官僚たちと言えるでしょう。際限もなく続く原発再稼働の動き、私たちも注目したいと思います。