ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

お茶の水周辺の古い建物

 2012年8月23日の午前、用事でお茶の水まで出かけた時に、その駅周辺に存在する古い由緒ある建物を見学して来ました。
 学生時代は頻繁に利用した駅ですが、これまで全く気にも留めていない建物が幾つかありました。
 第一に湯島聖堂です。新御茶ノ水駅を出ると、すぐ前の道が本郷通りで、下の神田川の上に架かる聖橋を北に向かうと、右手に広い森があって、石段を少し降りると、そこが聖堂です。この由来はこれまで全く調べた事がなかったのですが、今回初めて知りました。
 これは徳川五代将軍綱吉が1690年に建造したもので、儒学の振興を図るのが目的でした。降りてすぐ左に大成殿という細長い建物があり、その中は見る事が出来ませんでしたが、そこに孔子を祀る孔子廟があるそうです。

 さらに1797年ここに幕府直轄の学校として、「昌平坂学問所」が開設されました。ちなみにこの森の東隣を南北に通る道が昌平坂と呼ばれています。
 それが明治維新の後、現在の東京大学、東京師範学校、東京女子師範学校の源流となったわけですから、この地はいわば学問のメッカ(聖地)とも呼ばれています。
 次に訪れたのが、堂々たる建築物であるニコライ堂です、」聖橋から南に下って直ぐです。
 このニコライ堂は日本にキリスト教の教えをもたらしたロシア人修道司祭聖ニコライの名前をとってつけられたもので、正式には東京復活大聖堂と呼ばれます。ニコライは1861年に来日しています。そしてその建物は日本ハリストス正教会日本正教会)の中心的な存在という事になります。ハリストスとはロシア語のキリストを意味するフリストスがなまったものです。またその教理はたぶんにカトリック的色彩が強いものの、独特なものも存在します。
 聖書の教えのみとするバプテスト教会からすると、かなり逸脱した面はあります。
 この建物はドームの形をしており、一際目立ちます。設計はロシア人建築家シチュールポフ、 そしてコンドルが実施設計・監督を行ったとあります。国の重要文化財に指定されています。

 最後はこのニコライ堂の横道を通過し、かつて浪人中の夏場に受験した駿台予備校(ここに在籍したiireiさんは見事東大に合格されました)の今は縦に細長い立派な建物を尻目に、明大通りに出て南下し、これまた長い歴史のある山の上ホテルを訪問しました。緩い坂を上った一番上にあります。明大通り駿河台下に行く手前を右折するのですが、道は狭く見落としがちになるので、その入り口に英語で「ヒルトップ・ホテル」、そして日本語の「山の上」ホテルと二つ合わせた看板があります。

 1936年に完成したこの建物は、設計が建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズによるものです。しかし戦争中の事でもあり、最初帝国海軍が、戦後はGHQが使用した為、ホテルとしての開業は1954年になりました。暑い昼で外観だけ撮って来ましたが、もう少し詳しく見ておけば良かったと思いました。
 というのはヴォーリスは有名な建築家にして信徒伝道者でもあり、実に多くの立派な教会堂建築に携わっただけでなく、同志社関西学院大学神戸女学院大学など幾つかのキリスト教系大学の建物の設計にも携わって来た人だからです。それだけでなく、実業家としてもヴォーリズ合名会社を設立し、かの有名なメンソレータムを日本に普及させました。
このヒルトップ・ホテルは、おそらくマタイ5のみことばがヒントになっていると思います。
「あなた方は、世界の光です。山の上にある町は隠れることができません」(マタイ65:14)。
 お茶の水は他にも有名なところがありますが、明大を始め多くの大学があり、その学生の群れで道が塞がれ、決してゆっくり鑑賞出来るような所ではありません。渋谷などと同じです。でも魅力はあるので、東京に来られた方は、一度訪れてみるのも悪くないでしょう。