ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

米トーマス・ジェファーソン財団メダルを受賞した伊藤豊雄氏の仕事

 「神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです」(テトス3:8)。
 2014年4月17日、18日と一泊で仙台まで行って来ました。高校時代の恩師が宮城県遠田郡に住んでいて、今年86歳になるので、もう東京のクラス会出席は無理だろうと、1年時のA組と3年時のH組が合同して企画したもので、先生夫妻を含め22名が、仙台駅から西仙台市太白区秋保町の秋保リゾートホテルクレセントという所に集まり宴会を持ちました。私は1年のクラスで落ちこぼれ、とても行ける状態ではありませんでしたが、2か月に1回東京で有志会を開いている1Aクラスの友人たちがサポートしてくれて、旅行が実現しました。素晴らしい先生と級友を持てた事は私にはこよなく幸いな事でした。クラス有志会も会費を免除してくれています。トリクルダウンとはまさにこういう事を指すものと思っています。 
 しかし私たちにはもう一つの目的がありました。旅行の帰りに東日本大震災津波で被災した松島や塩釜を見学して来る事でした。加えて私は夜の宴会までに、今年3月末米トーマス・ジェファーソン財団とバージニア大学が、「建築、法曹、社会貢献の分野で公益のために尽力した人物」に贈るメダルで受賞した、建築家伊東豊雄氏の代表的な作品、仙台市青葉区にある「せんだいメディアテーク」を訪れる事が目標でした。時間の関係で河北新報社は見られませんでした。松島・塩釜共に、津波がここまで来たという印が、至るところで目立ちました。しかし訪れた所は一見復興していたかのようでした。
 伊東氏はウイキペデイアによりますと、1941年生まれ、都立の名門日比谷高校から東大建築科を出た人で、設計事務所勤務の後独立し、数々の独自な建築物を設計し、2000年にその代表作と言ってよい「せんだいメディアテーク」を手がけました。徒歩で美しいケヤキ並木の定禅寺通を通り、目的地に到着。全面ガラス張りの目立つ建物です。

 この建物の特異な点は、柱と梁から成るラーメン構造というものを崩し、梁を無くした事にあります。親友で早大建築科を出たA君の解説で、内部を見て回りました。

 地上7階、地下2階の建物には、市民図書館・ギャラリー・イベントスペース・ミニシアターなどが存在します。エレベータ―で各階を見ると、広々とした空間が広がっています。右図を見ますと、中央に2つ「チューブ」と呼ばれる縦の柱があります。これが床を貫通していますが、私のような素人に分からないのは、この2つのチューブが不規則に左側に傾いている事です。エレベーターを支えているのが逆方向ですから、梁のない構造で複雑な計算により安定化させているのでしょう。天井の照明器具を取り付ける横の部分の材料には、たくさんのアルミ板が並んでいました。
 伊東氏は東日本大震災の時、真っ先にこのメデイアテークがどうなっているか訊いていますが、一部のガラスの破損と最上階の天井の損傷だけで済んだそうです。勿論私たちが訪問した時は、完全に修復されていました。
 しかしこの震災は伊東氏にとっては一つの転換点だったでしょう。その経過がhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/2721に詳しく出ています。既に建築家坂茂氏の事を過去ログで書きましたが、伊東氏も又、貧弱な発想しか持てず多くの被災者を苦しめている仮設住宅の改良に取り組むようになりました。ちなみに伊東氏は坂氏より少し前にプリツカ―賞を受けています。
 最近の伊東氏の代表作が、東北の幾つかの仮設住宅地で採択している「みんなの家」です。被災者の要望を訊くと、縁側が欲しいというのが皆の意見でした。上記URLによると、「縁側は、家の中でもなく外でもない不思議な場所で、初めての人も知り合いも何となく腰掛けられる」所です。「人間には、とりわけすべてを失った被災地では、プライバシーよりも大事なものがあるんじゃないかと思いました。かつての公民館のように何でも包括し、誰でもが寄り合え、いろいろな話をし、立ち上がるエネルギーが生まれるような場所が必要なんです」。
画像はhttp://dezain.net/2012/14346からお借りしました。
 伊東氏もおそらく東大闘争を通し、建築について深く考える事があったと思います。それで大震災を契機に、被災地の人々の益の為に奔走しており、今が一番多忙な時だそうです。頑張れ!伊東さん。「みんなの家」という良いわざにいっそう励んで下さい。