ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

東京スカイツリー論その2

 まず9月9日に書いた「中川大地氏のスカイツリー論」において、一つ重大なミスを犯してしまいました。筆者の中川大地氏は武蔵野美術大学出身ではありません。テーマの内容からしてもまさか同姓同名の別の方がおられるは思ってもみませんでした。この本を書かれたのは、早稲田大学大学院博士課程を終えられた中川氏です。読んだ感想では、建築学に詳しい方で、それかそれに近い学問を修められたと推測します。
 中川氏と、コメントを寄せて下さった方々にも、お詫び申し上げます。
 さてこの本ですが、新書にしては360ページもある分厚いものです。ここでは読了して付箋を挟んだ箇所から、前回知り得なかった事を補足して書いてみたいと思います。
 中川氏はこのスカイツリーからすぐ近くの墨田区向島生まれで、今もそちらに両親・祖母が住んでいます。昨年3・11の時は新宿で被災し、そこから歩いて実家に向かいましたが、途中この塔が一体どうなっているかすごく心配しています。しかし塔は無事で、一週間後に世界一となる634メートルの高さに達したとの事です。
 中川氏は2005年この塔の建設計画を知った時、墨田区の変貌を危惧してすごく憂鬱になりました。
 スカイツリーの役割は、国や放送局が地上デジタル化を推進して、テレビ放送の延命を図る為です。当然強い反対があったわけで、「スカイツリーはまさに電波利権をすする既得権益者たちにとっての『バベルの塔』に他ならず、到底肯定的に受け止められる代物ではなかった」と中川氏は回顧しています。原発と同じ構図です。なぜなら原発もテレビ放送網も、悪名高き?「正力松太郎」が推進していたからです。
 東部鉄道は2004年に墨田区の押上・業平橋地区に大きな空地を確保し、様々な都市文化の構想が練られた後、2008年から工事が始まりました。
 その後中川氏はこれまでの「塔」建設の歴史を振り返り、またスカイツリー独自の構造を解説しています。
 氏によりますと自立式タワーの第一世代は、エッフェル塔(1889年)に始まり、第二世代では東京タワー(1958年)も含まれています。そして第三世代に入ってから、中国の広州タワー(2009年)が建造され、ついで2010年ドバイ首長国で「ブルジュ・ハリファ」(高さ828メートルで、超高層ビルで世界一)が造られました。これを中川氏は造形的妥当性のあるものと捉えていますが、私はあくまで「人間の傲慢さを示す巨大建設事業」であり、少しでも天に近づこうとする「バベルの塔」的発想とみます。そしてテレビ塔として世界一高いスカイツリーが、2012年完成しました。
 次にスカイツリーの構造ですが、五重塔の心柱を採択し、地上125メートル以上では、世界初の「心柱制振機構」を取り入れた柔構造となっています。詳細は本で。

 次いで中川氏は広大な付帯施設「東京スカイツリータウン」論に移って行きます。そのショッピングモールは、下町らしさを演出しているとの事ですが、そこから一歩外に出れば、本物の下町が広がっています。私の見学目的はそこら辺を覗いてみようという魂胆からでした。実際モールの中を歩いた印象は、昔からの古い店舗はあるものの、あまり普通のショッピングモールと変わりありませんでした。

 最後の章で中川氏はこれがバベルの塔なのか、「ストゥーパ」(仏塔)なのかといった論議を展開し、今後のビジョンを提示しています。その中では進化論の考え方も出て来て、私には異論があった事をブログで指摘しました。幾ら読み直しても高度な抽象的論議になってしまうようで、私にはついて行けませんでした。例えばこのスカイツリーの先駆としての、大阪万博における岡本太郎太陽の塔にしても、タワー評論家と称する鈴木重美氏でさえ、「神に近づく手段が塔であり…そこを私は登っていく」と言っています。これこそまさにバベルの塔を意図した人々の思いでした。
 ともあれ、この本はなかなか面白く、新聞の紙面の制約を抜け出して書かれていますから、改めて中川氏へのお詫びと共に、皆様のご一読をお勧めします。