ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

医者が父親を自宅で介護する

「あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ人を楽しませよ」(箴言23:25)

以前新聞広告か何かで見た『破裂』(久坂部羊著)を、図書館で借りて読んだ事を覚えている。久坂部氏は現役の医者であり、作家でもある。高校生の時作家を志望したが、やはり医者だった父親の忠告に従い、阪大を卒業して医者となった。

しかしこの『破裂』を読むと、ネットでも解説があるように、作家山崎豊子氏の『白い巨塔』と似たような物語になり、医療関係の小説を書く人としては、渡辺淳一海堂尊氏らと同様傑出している事が分かる。ところどころ挿入されている医療措置の仕方などは、読者にも大いに参考になる。他にも数冊読んだが、今度図書館で借りた『人間の死に方』は、愛し尊敬していた父親を在宅で介護し看取るまでを書き連ねた実話である。

患者の苦痛を考慮せず、とにかく生かすという治療のみ専念するという医療の在り方に、大きな疑問を抱いていた久坂部氏は、白い巨塔に留まり医療と研究に埋没するタイプの人ではなかった。だから現在医療を絡めた文学に専念する氏の物語は、病気を患っている人々を魅了する。

父親は典型的な「医者の不養生」である。持病の糖尿病で具合が悪くなって入院した時の血糖値は700もあった(ちなみに私の場合胃がないので、食後は200前後ある)。しかし父親は甘いものでも何でも食べたい放題。ついに足の指が糖尿病性壊死となった。そこでインシュリンの量をうんと増やしたところ、自然に治ってしまったそうだ。息子は不思議がったが、実はそういうこともあり得ると結論付けた。

85歳で前立腺がんが生じた事が分かると、父親は「しめた!」と思ったそうだ。むやみに長生きしたくなかったからだ。息子も患者をたくさん診ているから、「実際の長生きはつらく過酷なものだ」と言い切る。私も同感だが、特に排泄機能の低下でおしめをつけられる事が最も気になる。86歳で認知症になった母親の排泄処理を、看護師と共同で3年間やったので、これはもう実感なのだ。一人暮らしなので、毎日精いっぱい苦労し、ある日ぽっくりが理想的だと思っている。周囲に迷惑をかけない為、既に終活は終えており、合併症が脳や心臓に及んで倒れていたら、もう延命措置はとらないようはっきり書いてある。

自宅で転倒骨折してからの父親は、息子の応援もあって在宅医療を選択した。もう食欲もなかったが、点滴も注射も拒んだ。そこで息子がコメントしているが、高齢者が食欲がをなくすのは、「そもそも臓器に栄養を利用する力がなくなるからで、利用する力があれば、自然と食欲が湧く」とあった。実はその事実を知らなかった私は、母親に無理して食べさせ、腸閉塞を起こさせてしまったのだ。結果として死を早めてしまった。

父親は在宅の期間中、30日も便が出なかった。それでも平気だったのは不思議だが、息子が摘便から清拭まで良くやったなと感心した。医者だからこそかもしれないが、たぶん今の医者なら看護師などに任せきりというところが多いのではないかと思う。さらに寝ている生活でも、床ずれが出来ず、寝たきりにならなかったというのも不思議だ。私の母親の場合、大転子部分に大きな褥瘡を作らせてしまい、今でも申し訳なかったという気持ちで一杯である。

久坂部は母親と妻とで父親を介護した。しかし死までの時期が長引くと、皆ストレスが溜まる。これが本当の試練で、その事情も詳しく書いている。私も経験し、ショートステイを利用して、息抜きの為に旅行に行ったりした。介護は3人でなく1人だったから、相当ストレスがあった。理解ある家族の存在の貴重さをつくづく思う。

その後父親は認知症にもなった。息子は臨床の経験から、家族の苦労は筆舌に尽くしがたいと言う。その通りだと思うが、その過酷さを受容出来たのは、ひとえに育ててくれた親に対する深い愛と感謝があった為か。2003年当時の私はイエスの犠牲的な愛が全くわかっていなかったと、正直に告白するしかない。

息子は父親の下顎呼吸が始まった時、その手を握り、「ありがとう。お父さんのおかげで、僕も幸せない人生だったよ」と声をかけた。そして永眠の後の処置の時、「子どものころから私を一人前に扱い、いろいろ支援してくれて、常に温かく見守ってくれた父の最期を、自分で看取り、最後の処置を心を込めてできるのはありがたいことだ」と、その幸いを書いているが、わたしはこうした個所を読んで、本当に久坂部氏を尊敬した。長寿、介護、死、家族の事など、この本から考えさせられる事が一杯あった。久坂部氏は本当によくやった。本当に!是非一読して欲しいと思う。長生きの親がいる場合、誰でも遭遇する事だからだ。