ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

姦淫の罪を犯し、女の夫を激戦地に送り戦死させたダビデと東条秀樹

 「その手紙にはこう書かれてあった。『ウリヤを激戦の真っ正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ。』」(サムエル第二11:15)。

 太平洋戦争末期の首相東条英機は、個人的に好き嫌いが激しく、自分に反対する人物を召集して激戦地に送るという手法を行使しました。

 その例は多くあるようですが、ここでは前田利為(としなり)という人の例を挙げます。
 前田が陸軍大学に入学した時の同期に東条秀樹がいました。前田は優秀で卒業時は首席でしたが、東条は4年も遅れて卒業しました。従って東条は前田に対して相当なコンプレックスを抱いていました。東条は1941年首相になりましたが、陸軍を率いている前田とはそりが合わず、「頭が悪くて先が見えない男」「宰相の器ではない。あれでは国を滅ぼす」などと酷評しましたが、東条は「世間知らずの殿様(旧加賀藩主前田本家第16代目当主)に何がわかるか」と反発していたそうです。

 そして1942年東条は前田を南方の激戦地ボルネオに守備軍司令官として送りました。そして前田はその地で戦死したのです。しかし東条は戦死扱いとはせず、「戦傷病死」扱いとし、遺族年金を減額するというひどい措置をとりました。
 その他にも東条は有名な石原莞爾とも反目し、彼を閑職に追いやり、やがては軍から抹殺してしまいます。ちなみに石原は1931年に板垣征四郎らと満州事変を実行、1936年の2・26事件では反乱軍を鎮圧すべく指揮を執り、1937年の日中戦争では参謀本部作戦部長となっています。しかしこの年から東条との対立が次第に深まって行きます。石原は関東軍に参謀副長として左遷され、翌年には罷免されました。最終的には1941年に予備役へ編入されました。そして憲兵特高警察に常時監視される身となってしまいました。敗戦後戦犯とはならず、東京裁判に出て「東條という人間には思想はまったくない」と証言したそうです。1949年病気で亡くなりました。東条に暗殺されなかっただけましだったのかも。
 冒頭聖書箇所のダビデはひどい罪を犯しましたが、神から遣わされた預言者にそれを指摘され悔い改めました。神は憐れんでその罪を許されました。その末裔から罪のない救い主イエス・キリストがお生まれになりました。翻って派遣作業員を福島の現場に送り、大量に被ばくさせているのに、全く罪を認めない東電首脳はどうでしょうか?悔い改めませんから、遂には神の厳しい審判が下るでしょう。