ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

池内了著『科学者と戦争』を読んで

 「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか」(ローマ2:4)。

 私が学園闘争に参加した頃は、研究者と学問の問題を徹底的に追及していたので、「産学共同」を提唱する大学の教職員は随分批判を受けていました。
 時代が変わり、今日それを堂々と主張する、倫理観のない学者とりわけ科学者がゴマンと輩出するようになりました。
 岩波新書から出たこの本は、特に科学者と戦争について、その歴史を辿りながら、現代日本の科学者たちと防衛省などとの「軍学共同」の実態を暴き出した労作と言えるでしょう。
 福島の原発処理などで登場したロボット技術で、もしかしたらと思っていた事を、秘密のベールの中から良く解き起こしたと、池内氏に拍手したい位です。私たちも、また専門バカも、あまりにも知らないで過ごしていました。悔い改めて真実を見つめてゆきたいと思いました。
 まず第二次世界大戦以前の科学者で、戦争に協力した人々とその研究内容をざっと見てゆきますが、驚くほど多くの科学者の名前が挙がっています。数名だけ挙げると以下の通り。
 ハーバー(ドイツの化学者。空中窒素からアンモニアを合成→毒ガスの開発)、プランク(ドイツの物理学者。量子論ユダヤ人物理学者迫害に加担)、ハイゼンベルグ(ドイツの物理学者。量子論→原爆開発)、仁科芳雄(日本の物理学者。原子核研究等→日本の原爆開発)。
 その逆は日本学術会議(戦前日本の侵略戦争加担→戦後の平和と福祉の為の科学研究)。東大(戦前の軍事研究→戦後の南原・茅・大河内・加藤総長まで、軍事研究は行わない、軍からの研究援助は受けない)。
 それが1990年代文部省の大学運営への介入強化で、徐々に変貌してゆきました。米軍の間接的な研究資金援助もその頃からです。2000年以降民間団体を通じて、12の大学・研究機関の研究者たちへ2億円を超える資金援助を行いました。2011年の原発事故以後、国防総省国防高等研究計画局(=DARPAダーパ)は、災害用ロボットコンテストを開催し、公然と軍学共同の一歩を踏み出しました。これは米国内に限定されていますが、東大などいち早く参加の表明をしています。
 ダーパは「民間で研究開発された技術を軍事に転用するために資金を投下する機関」であり、科学研究者にそうした資金を提供して軍事研究に誘い込む方式を「ダーパ方式」と言います。その方式を取り込んだのが、日本の防衛省であり、主体が「防衛省技術研究本部」です。
 そこの軍学共同の歴史は2004年に遡りますが、2016年には8大学7研究機関で24件もの技術交流が行われており、その一覧表を見ると唖然とするほどです。そこに出て来る研究テーマは、今後秘密扱いにされ、人目に触れなくなります。その中で技術研究本部による小型無人飛行機「ドローン」などは、ロボットと共にニュースの話題となっています。
 いっぽう内閣府2001年、日本学術会議に対抗する形で「総合科学技術会議」を設置しましたが、これが2014年「総合科学技術・イノベーション会議」(=略称CSTI)となり、「イノベーション」という言葉が躍り出て来ました。2016年8月1日の福島民報では、復興相が「浜通り廃炉やロボットの研究開発の最先端地域とする福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想を福島復興再生特別措置法(福島特措法)の条文などに盛り込み、法制化する意向を示した」という記事が出ました。
 この総合科学技術・イノベーション会議が最初に立ち上げたのが、「革新的研究開発推進プログラム(=略称ImPACT)で、そのプログラムに「米国のDARPAのモデルを参考にする」と明示されています。池内氏はそれを「軍学共同の仲立ちや組織化を国が先頭に立って行」なおうとしていると見ています。
 その意味で原発がある福島の浜通りは、今後軍学共同研究の最先端基地になろうとしています(私の予測)。
 研究者は「研究費がなくては研究が出来ず、論文が書けない…だからのどから手が出るほど研究費が欲しいから、軍からの金であろうとありがたくいただく、ということになってしまう」のです。だから研究者はもはや軍に加担しないという矜持を捨て、バスに乗り遅れまいと雪崩を打って軍学共同に走る事でしょう。
 池内氏はその動向を憂い、第三章で研究者の倫理を深く追求しています。
 しかしそれに異議を唱える研究者は、今後皆無になりそうな気がします。
 1969年頃東大の全共闘議長山本義隆氏は、科学者の倫理を徹底的に追及し、私たちに深い影響を与えました。九大の数学助教授倉田令二朗氏、京大の数学名物教授森毅氏など、全共闘の主張に耳を傾けた教職員たち。あの頃の科学研究者たちと比較すると、隔世の感があります。
 そのように自己との対峙を重ね、「自己否定」に辿り着いた研究者たちが今後現れない限り、池内氏同様私も悲観的です。科学研究者は皆例外なく、直接・間接的に軍の手先となり果てた…。