ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

中野信子著『脳科学からみた「祈り」』を読んで

 「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります」(ヤコブ5:16)。

 中野信子氏は東京大学工学部応用化学科卒業を卒業してから、大学院の医学系研究科脳神経医学専攻に移り、博士課程修了を終了して医学博士の称号を持つ人です。脳科学者との肩書がありますが、なかなか奇抜な考え方をする人です。既に昨年少し触れました(http://d.hatena.ne.jp/hatehei666/20121213/1355405550)。

 今回「祈り」というなかなか難しいテーマで、脳との関わりを述べていますが、こうした研究が可能になったのもfMRI(機能的磁気共鳴画像法=外部からの刺激や課題を行うことによって活動した脳の様子を、画像化する方法)の利用が盛んになったからでしょう。
 この本出版社は「潮」であり、本の第2章で日蓮の事にも言及していますから、おそらく創価学会と関わりのある女性科学者だと思います。それを頭に入れておいて、この脳科学からみた「祈り」をどう解き明かしているのか、興味を持って読みました。下画像は有名な「祈りの手」というデューラー(ドイツルネッサンス期の画家)の作品(1508年)。

 中野氏は特に1996年に発見されたミラーニューロンという神経細胞に注目しています。中野氏によればそれは「別名を『共感細胞』と言い、眼前の他者の行動を『鏡のように』反映して発火します」とあります。そしてそれは「非常い大きな意味を持つため」、「脳科学最大の発見」と呼ぶ人もいるのだそうです。
 祈りは私たちクリスチャンが日常的に行っている行為ですが、それには「ネガティブな祈り」と「ポジティブな祈り」があります。 ネガティブな祈りとは、誰か嫌いな人への「呪い」の祈りが典型でしょう。聖書の詩篇でもそうした祈りが見つかります。そしてその祈りでは、「コルチゾール」というストレスホルモンが度を越えて分泌されるので、祈る自分に悪影響を与え逆効果となるそうです。ポジティブな祈りでは、「ドーパミン」「オキシトシン」といったなじみのものだけでなく、「β-エンドルフィン」という神経伝達物質も出ます。それは至福感や陶酔感などをもたらすもので、マラソンで気分が高揚した時や、看護師が末期がん患者の為に力を尽くした時、セックスの時等で分泌されます。他人の幸福の為の執り成しの祈りなどをすると、終えた時独特の高揚感が生じます。
 しかしポジティブな祈りにライバルを蹴落としたいといった動機が含まれると、それは良い祈りと認識されず、「アドレナリン」などの「怒りのホルモン」が出て来るので、血圧や血糖値を上げてしまうのだそうです。ですから祈り方を「この勝負をとおして、ともに成長してゆこう」という形に替えると、良い祈りとなり、自分も成長します。
 他人の幸福への心からの祈りで注目すべきなのが「オキシトシン」だと中野氏は言います。こうした物質は脳の記憶を司る「海馬」の働きも活発にし、記憶力を向上させます。未来を展望する力強い祈りは、未曽有の事態をも乗り越える力となりそうです。
 しかしここで中野氏は一つ警告しています。脳は祈りの行為を「無意識のうちに行う習慣」にしてしまうやすいそうです。それは私にも覚えがあります。習慣化した祈りは惰性的になりがちで、どうも脳を刺激していないと思います。ですからイエス・キリストは他人と隔絶した部屋や場で、厳粛な祈りに集中させる事の勧めを弟子たちに教えられました。
 fMRIで調べて見ますと、利他的な行動、利他的な祈りをすると「快感」として認識される事が、科学的にも立証されつつあるようです。見返りを求めなくてもそうなります。他人の罪を一手に引き受けられたキリストの祈りはそれに相当するでしょう。
 ここでミラーニューロンとβ-エンドルフィンなどとの関係ですが、今一つ詳しさに欠けていたので、ネットで調べると、ミラーニューロンの活性化がβ-エンドルフィンやドーパミンなどの快感回路の活性化に連動している」との事です。
 ですからミラーニューロンを発火させ、β-エンドルフィンなどの分泌を促さない「利己的行為」をする人ほど、幸福感を覚えない事になり、「孤独でいる老人」も同様です。長い目で見ると、アルツハイマーなどの認知症になりやすいとも言えます。
 大きな活字の小さな本でしたが、多くの示唆を受けました。