ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

木を植えた男

 「イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。『種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ』」(マタイ13:3−8)。 
 2013年1月6日のnice100showさんのブログは、有名な『木を植えた男』(ジャン・ジオノ作)に触れておられました。
 当然青春時代に読んでおくべきこの本、怠惰な私はつい読まずに来てしまいました。図書館でも子どもたち用の本棚にあって、気が付かなかった事もあります。そこで私も改めてこの短い本を読んでみました。1日あれば十分読んで楽しめる本です。いろいろ適用が出来るでしょう。
 この作品ジャン・ジオノ自身の経験を踏まえた叙事詩というべきもので、時期は第一次世界大戦前から第二次世界大戦後に及んでいます。

 舞台はフランス南東部に広がるプロヴァンス地方です(*ジオノはここのマノスクで生まれ、生涯のほとんどをこの町で過ごしました)。
 この物語が始まる頃プロヴァンス地方は荒野でした。この高地に草木の種を蒔いてその苗木を育て、「木を植えた男」が主人公のエルゼアール・ブフィエです。
 この地方を訪ねた「わたし」は延々と続く荒野を歩き続け、やっと見つけた町は廃墟となっていました。泉も涸れ、教会の建物も放置されたままで、人気がありません。途方に暮れてトボトボ歩き続けた「わたし」は、遂に一人の羊飼いの男を見つけます。彼は「わたし」を自分の家に連れて行きました。そこには村民たちもいましたが、男も女も皆いがみ合って生活しています。しかしこの孤高な男は一切それに関わらず、「わたし」をもてなした後、テーブルの上にどんぐり(カシワ)を広げ、良いものと悪いものに選り分け始めました。そして翌朝選別したどんぐりと鉄の棒を持って、羊の群れを谷あいに放し、犬に晩をさせてから、荒れ地に戻りそのどんぐりを鉄の棒で突いて開けた穴に、丁寧に埋め、土を被せました。
 男は3年前からこの作業を始め、既に10万本に相当するどんぐりを埋めました。そのうち2万個が芽を出しましたが、1万個は動物などにやられ、残った1万本が根付いたのです!その時男は55歳、名前をエルゼアール・ブフィエと名乗りました。彼は息子も妻も亡くなり一人でしたが、羊飼いの仕事の他、何か役立つ仕事がしたいと思い、始めたのがこの不毛の土地に木を植える事だったのです。
 その後男と別れた「わたし」は第一次世界大戦に従事し、5年を戦場で過ごしました。そしてその後再びブフィエを訪ねました。彼は相変わらず木を植えていましたが、仕事は木の苗を食い荒らす羊を飼う事をやめて、ミツバチを飼っていました。以前ブナも植えていたのですが、さらにカバも試み、それらは見事に成長していました。
 勿論この仕事、試練の時もありました。カエデの苗も挑戦しましたが、全滅してしまったのです。しかし彼は不屈の精神を持って、その逆境を乗り越え、再びカシワを植え始めました。それにより彼が蒔いた地域は立派な森になりました。「わたし」は彼の事を「神がこの世につかわした闘技者」と呼びました。
 第二次世界大戦が始まると、木材が大量に必要になりました。彼が植えたカシワは大量に伐採されそうになりましたが、遠くて採算が合わないと見た会社は撤退した為、この肥沃な森は残され、やがて人々が住み着くようになりました。この肥えた土地には花や野菜が一杯植えられ、主食となる大麦やライ麦も栽培されるようになりました。かつての荒野が今や完全に復活したのです。
 「わたし」はたった独りの男がその肉体と精神の限りを尽くして、荒れ果てた地をよみがえらせた事で、人間のすばらしさをたたえました。そして「神の行いにもひとしい創造をなしとげた名もない年老いた農夫に、かぎりない敬意をいだかずにはいられない」と述べ、最後にその男が養老院でやすらかにその生涯を閉じた事を伝えて、この本を閉じます。
 この聖書の知識も縦横に駆使し、諦めずに種を蒔き続けた男から、私たちはさまざまな事を学びます。
 今原発、TPP、消費増税と大変な世の中になりつつあります。その中で私もこのエルゼアール・ブフィエに倣い、不屈の精神で反対の種を蒔き続けたいと願っています。