ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

9・11後、二人のとった対照的な行動

 「私はあなたの戒めを決して忘れません。それによって、あなたは私を生かしてくださったからです」(詩119:93)。
 2001年9月11日ニューヨークの世界貿易センターがハイジャックされた航空機の突入で崩れ落ちました。いわゆる9・11同時多発テロ事件の発端でした。
 この事件の時、その近くに二人の人がいました。一人は世界最大級の投資銀行ゴールドマン・サックスで難関の社内試験を受けていたグレッグ・スミス、もう一人は米国野村証券に勤務していた堤未果です。

 グレッグ・スミスは南アフリカ出身、現在ユダヤ系米国人となっています。スタンフォード大学を経てゴールドマン・サックスに入社しました。その直後に起きた貿易センターの崩壊を目の当たりにして、永遠にその脳裏に情景を刻み付けました。
 しかし彼は資本主義経済の仕組みを正しいと信じる、真面目で優秀な一介の社員に過ぎませんでした。「私は人々が金持ちになり、企業が利潤を最大化することはただしいと考えている…ただし、すべてがフェアプレーでなければならない」(*以下『訣別ゴールドマン・サックス』より)。
 当時のゴールドマン・サックスコンプライアンス(遵法性)という点で最も厳格に法律を守っている、彼の理念に適った優秀な企業でした。彼は懸命に働き、年収は4000万円にも達していました。それを個人として何に使っていたのかといいますと、「酒」です。飲酒は社風の重要な構成要素、つまり酒飲み文化です。あまり日本と変わりないかもしれません。後はラスベガスに飛んで、賭け事を行う位でした。
 その幸運を彼は神に感謝していますが、何しろ筋金入りのユダヤ教信徒ではありません。「私は特に信心深いわけでないが、伝統は大切にしてきた」と言う名目の信徒です。時折ユダヤ人のシナゴク(会堂)で旧約聖書に耳を傾ける程度です。過ぎ越しの祭りも形式的に守っているだけで、その時にほふられた小羊が実は救い主イエス・キリストだという事には、全く無関心です。
 ですから9・11以後毎年行って来た黙とうも、5年を過ぎると関心を持つ社員は、彼も含めほとんどいなくなりました。ゴールドマン・サックスという組織は、通常通りの業務を続けられるよう、「トラウマとなるようなテロの記憶を封印して、その上から新たな壁土を塗ってしまった」のです。
 そのような時、つまり2008年9月にリーマン・ショックが起こりました。投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻し、世界的金融危機を引き起こす発端となりました。
 そしてそれより少し前から、ゴールドマン・サックスも創業者の理念から少しずつ外れて行きました。「顧客の最良の利益になるような選択」から「大手の機関投資家の間の売買を容易にし、そこから利益を得る」というように。そしてさらに進んで「世紀の空売り」と評される犯罪に近い行為も行うようになりました。
 それに証券取引委員会が目をつけ提訴をしました。結果は和解でしたが、その後ロンドン支店に栄転したグレッグ・スミスは、もはやその異国の地で理念を押し通す事は出来無いと判断して退職し、ニューヨークタイムズ内部告発的な文書を投稿したのです(http://www.nytimes.com/2012/03/14/opinion/why-i-am-leaving-goldman-sachs.html?pagewanted=all&_r=0)。

 ちなみにグレッグ・スミスがその本で触れている2006年5月の事ですが、ブッシュ大統領ゴールドマン・サックスのCEOヘンリー・ポールソンを財務長官に指名し、国務省ナンバー2だったロバート・ゼリック国務次官を入れ替わりにゴールドマンサックスのマネージング・ディレクタ一に就任させています。
 一方同じ9・11の目撃者である堤未果は、野村証券を辞めてこの米国を徹底的に見直す事になりました。彼女はジャーナリストとなり、政府や大手金融会社の悪とそれがもたらした多くの国民の貧困化をルポし、日本にその内容を知らせ続けています(『ルポ貧困大国アメリカ』ほか)。
 彼女の分析は鋭く、最近の『政府は必ず嘘をつく』でも9・11を忘れる事なく告発し続けています。
 勿論彼女は日本で起きた3・11にも注意を向け、安倍政権やTPP(特にISD条項)についても、警鐘を鳴らし続けています。
 堤さんの最近の言動はユーチューブでも見られますが、ゲストの彼女が脇になり、司会者があまりに多く発言するので、こうした放送番組は私はあまり好きではありません。(http://www.youtube.com/watch?v=5DCQIo97z50)。
 とにかく9・11の米国で対照的な動きを見せた二人ですが、私たち3・11を経験した者たちは、どちらのタイプになるでしょうか?絶対忘れず原発推進に抗い続けるか、風化させ忘却の彼方にやり、自分だけの楽しみにふけるのか、問われているのは私たちです。