ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

医学の主流から外れた心臓外科医天野篤氏、南淵明宏氏

 「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい」(テモテ第二2:15)
 2012年10月7日の朝日新聞に、その年の2月天皇陛下の心臓手術を手掛け、一躍有名になった順天堂大学医学部教授の天野篤氏の事が紹介されていました。

  天野教授は1955年生まれ、3年浪人して日大医学部に入った人です。名門浦和高校出身ですから、頭脳では東大出身と変わらない人だと思います。しかし重責のかかる天皇陛下の手術では、並居る東大教授らを差し置き、順天堂大学から執刀医に抜擢された事で、世間の注目を集めました。
 天野教授は日大を出てから、『白い巨塔』に出て来るような医局制度に反発、まず千葉県鴨川市亀田総合病院で腕を磨いた後、私の住む松戸の新東京病院(*有名になってそこの敷地が狭くなり、中心部を外れた所に広大な土地を得て建設工事が始まっています。2年前そこの遺跡を発掘しました)でさらに研修を続け、心臓外科医としてはトップクラスの人となりました。最近『一途一心、命をつなぐ』という本も出しています。
 朝日の記事から伝わって来るのは、外科手術に必要な準備を絶対怠らず手抜きせず、ひたむきに集中するという姿勢です。昔打撃の王様川上哲治は飛んで来るボールを、一瞬止まっているように見えたと言ったそうですが、それと同じく並はずれた集中力をもって手仕事を極めた姿です。指にかけてはピアニストも同じですが、天野氏も外科手術は頭を使うのは15パーセント位、あとは反射的に手が動いていると言っています。
 さてその心臓外科手術では、この人の名前も忘れられません。南淵明宏氏です。

 1958年東京生まれ、奈良県立医科大学を卒業し、国立循環器病センター勤務中にやはり医局制度に反発、海外に移って研鑽を重ねた後帰国し、同じく新東京病院などを経て、長く神奈川県の大和成和病院で心臓外科手術を手掛け、3年前に東京品川区大崎にある大崎病院東京ハートセンターに移りました。南淵氏も『医者の涙、患者の涙』などの著作を出しています。人気漫画「ブラックジャックによろしく」のモデルとして知られた人です。
 その南淵氏の本を読むと、3年早く生まれた天野氏と確かに新東京病院で接点がありました。南淵氏は「天野医師の八面六臂ぶりに圧倒された。『心臓外科手術への理解を得るために、説明努力を惜しんではならない』この信念が、天野医師に対する患者さん、家族の信頼を確かなものにしていた」と、天野氏の姿勢を絶賛しています。

 そしてこの2人を呼んだのが、これまた心臓外科のスペシャリスト須磨久善医師です。須磨氏の事は既に過去ログで書いた事があります(http://d.hatena.ne.jp/hatehei666/20100506/1273098018)。この人もまた国立の出身ではなく、大阪時代必要があって訪ねた事のある大阪医大出身です。海堂尊氏が『外科医須磨久善』の中で書いていますが、バチスタ手術という術式を生み出し、やはり世界的に知られた人です。海堂氏の別著『チーム・バチスタの栄光』で、この手術が知れ渡りました 
 このように卓越した心臓外科医の系譜を辿ると、偏差値の高い最難関の国立医学部を出た人たちではありません。しかし彼らは恥じることのない働き人として努め励み、実績を重ねて来ました。彼らに必要だった事はといえば、頭というより体力と手先の器用さでした。
 今日医学部を目指す高校生たちは、確かに頭脳明晰ですし、そうでないと入学はおぼつきません。最難関の東大医学部では都市圏の中高一貫校出身者が7〜8割程度を占めるそうで、富裕な階層に属しています。そしてただに偏差値秀才であるだけでなく、その人格に問題があるという学生が2割はいるそうです。手術に必要な体力、腕、患者に対する深い思いやりなどを兼ね備えた学生が、彼らや他の難関大学にどれほど存在するでしょうか?貧乏しながら強く真面目な動機を持ち、医学を志したとしても、最初からその門戸は閉ざされ、入る余地はないと言えるでしょう。それは偏差値神話(原発神話と同じ!)を砕かない限り不可能となるでしょうし、TPP締結となると医者は富裕な患者を選び、ひたすら儲けを考え、貧乏な患者は打ち捨てられる事態になりそうです。繰り返しますが、特に社会ダーウイン主義のはびこる医学部、ひどい偏差値神話を捨てさせない限り、被害を被るのは我々庶民であり、朝日など週刊誌を通しそれを盛んに煽っているマスコミ大手の記者たち、それに同調する我々は「加害者」でもあるのです。