ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

山下祐介著『東北発の震災論』を読んで

 「兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます」(マタイ10:21)。
 東日本大震災に関して、山下祐介という人がいろいろ書いているので、どんな内容か知りたくて、上記の本を借りて読みました。
 山下氏は富山県生まれ、九州大学社会学を学び、弘前大学に移って准教授、さらに現在は首都大学東京の准教授として、都市社会学を教えています。根っからの東北人ではありません。弘前で調査をしていて、大震災に遭遇しています。

  新書としては分厚い本ですが、社会学的考察なので、語り口は淡々としていてそれほどインパクトはありませんでした。
  山下氏の掲げるキーワードは3つです。「広域システム」「中心と周辺」「主体性」です。
  日本は今広域にわたって形成された一つの巨大システムを成していて、その中に中心と周辺があります。大震災は被災地の主体性を危機に陥れましたが、中央の東京でも、どこにも危機管理の中枢がありませんでした。大震災はこの広域システムの存続を脅かしたと、山下氏は強調しています。地震津波原発のいずれも、日本社会の全体を見えなくし、将来の見通しを悪くしています。「復興」に向けた動きは極めて鈍いものがあります。また東京など首都圏の中心対東北の周辺という図式以外に、周辺地域にも被災が甚大だった地域と、そうでない地域の間にかなりの温度差があります。震災は地域経済、人間関係をズタズタにしましたが、この再生は「金」を巡り、解決が極めて困難です。線量の多寡で地域の区分けによる分断、仮設住宅公営住宅を巡る分断、世代間分断、職業による分断…。人間は罪深いので、こうした分断でその関係は決して元通りにはならないでしょう。までいな努力で美しい農村となった飯館村川内村内の獏原人村という面白い村落、私の友人のいる南相馬市等々、微視的に見ると激しい対立から、真面目に執り成した人々ほど鬱状態になっています。大手マスコミ(例えばNHK)がそれに拍車をかけています(http://eritokyo.jp/independent/aoyama-democ1005...html)。
 結局システムが大き過ぎて、また複雑過ぎて、人間の手に負えなくなってしまったのです。原発にしても、それは「安全神話」というより、「安全詐欺」だったというのが山下氏の見方で、これは的を射ていると思います。
 それ故「賠償」「除染」といった中央や東電が負うべき問題も、バラバラであり、見通しなど全く定かではありません。
 結論として広域システム災害の中では、人間は全く無力となり、、自律性・主体性を喪失してしまいました。にもかかわらずこの災害の本質を反省するより、遮二無二復興・復興へとシステムを強化しつつあるのが現状です。「人間のためのシステムのはずが、いつの間にかシステムのための人間となっている」。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません」(マルコ2:27)!
 以上私が注目した箇所をざっと眺めて来ました。それほど付箋は多くなく、私たちや福島の人々が実際見聞して知っている事柄の焼き直しと感じられる箇所もあって評価は難しいですが、1冊だけで軽々にモノは言えないというのが、正直な感想です。山下氏の今後に期待したいところです。