ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

もっと速く事を行なえ!加速された現代生活の諸結果

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)。
 7月4日のドイツシュピーゲルサイトでは、上記の題でドイツの社会学者ハルトムート・ロザ博士の随筆が紹介されていました。

 博士はイエーナ大学の社会学教授です。最近『加速と疎外』(*原文はドイツ語)という題の本を出しました。
 ステイーブ・バルマー(マイクロソフトのCEO)はステイーブ・ジョブズと違い、あまり賢人とは見做されていません。でも彼は企業の最近の開発会議で、私たちの時代の標語を、関連する(=新製品か、もっと速いOS)スローガンに包み込みました。「速く!速く!速く!速く!」。
 この加速が現代世界では普遍的な目標となっています。
 それは機械的加速(旅客機の性能向上で世界の規模を6分の1に縮小、デジタル製品も)、社会の変化の加速(グローバル化など)、日々の生活の歩みの加速に分けられます。
 その機械的加速は、仕事に要する時間を短縮する事で、個人の余暇をもっと創出出来る筈でしたが、現代では個人は常にその縮小で悩まされる事になりました。私たちがどれほど余暇を最大限に過ごそうとしても、あれもこれも実現させたいという衝動がある為、無限の選択肢から新しいものを得られないまま生じる飢え渇きは決して満たされず、持ち分はどんどん縮小されたと感じるのです。そうなると人々はますます鬱や燃え尽き症候になってしまいます。ロザ博士はこの社会変化の記述では、もともとマルクス主義の「疎外」という用語を利用しています。
 こうした急激な社会の、技術の、経済の変化の加速は、価値観、生活様式、人間関係の変化ももたらす為、人々は全く複雑化したこの世界をもはや理解出来なくなり、結果的に保守主義への逃避に傾いてゆきます。それは世界中で異なる形にて現れます。イスラム世界を揺るがす暴力もそうですし、米国の一部で出ている独善主義もそうですし、ドイツではメルケル首相主導下の「新ビーダーマイアー」時代(*ビーダーマイア―とは19世紀前半のドイツで、もっと身近で日常的なモノに目を向けようとして生まれた市民文化の形態の総称)もそうです。
 それは民主主義社会では深刻な事態となります。政治的意思の形成は、社会集団が一段と異質になるに従い、ますますつまらなくなります。政治は社会が期待しているほどの変化を主導するのが相当困難になるからです。
 特に経済学の分野では金融市場が劇的な加速にさらされているのに、政治は停滞するするので、新自由主義の台頭により世論を形成する人々が絶え間なく批判して止まない欠点となってしまいます。
 社会はかつてないほど速い歩調で動いているので、政策決定もさらに速やかになされなければなりません。じっくり討論するのは、もはや主流ではなくなりました。速やかでなければ、人々は憤りイラつくようになります。
 この随筆は加速が全体主義の新しい抽象的なかたちとなっている、という主張で閉じています。17世紀の哲学者ホッブスは、国家を全能の怪獣(=レビヤタンで譬えられています)と記述していますが、ロザ博士に言わせると、このあらゆる表出されたものにおける加速こそ、新しいレビヤタンとなっています。
 7月13日の朝日新聞に登場した作家の中村うさぎさんは、「何か、3・11移行、妙なながれになってると思わない?日本人の心を一つに、みたいな機運が高まったでしょう。全体の利益を第一に考えようみたいな」と言っています。
 さらに朝日新聞7月23日のオピニオン欄でも、内田樹氏がロザ氏と驚くほど似た事を言っています。「『決められる政治』とか『スピード感』とか『効率化』という、政策の内容と無関係の語が政治過程でのメリットとして語られるようになった…」。なるほどと思わされました。政策決定過程で熟議がされなければ、政治家の言葉はますます浅薄になってゆきます。