ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ザビエル布教、弾圧、隠れキリシタン

 「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(マタイ5:10)。
 キリスト教に無関心な人でも、高校で世界史を勉強すれば、カトリック布教の為1549年にフランシスコ・ザビエルが来日した事を知っているでしょう。
 かつて大阪の茨木市に住んで伝道していた頃、そこから北の山奥に隠れキリシタンの信者たちが多く住んでいた事を知りました。そしてちょうどその頃、つまり1987年に茨木市キリシタン遺物史料館が開館し、私も訪れた事があります。その時その場所の近くから、有名なザビエル像が発見された事を知りました。

 現在それは神戸市立博物館に保管されています。
 心理療法家の河合隼雄氏は信者ではないので、聖書を神話として捉えています。最近『こころの最終講義』という題の文庫本が新潮社から出版されました。その第三章第二部に「隠れキリシタン神話の変容過程」という項があり、興味深く読みました。学んだ事を幾つか記しておきたいと思います。
1ザビエルとヤジロウ(=弥次郎)との出会い。ヤジロウはモーセと同じく、若い頃殺人の罪を犯し、海外逃亡中でしたが、ザビエルと会って日本人初の受洗者となりました。ザビエルは彼から日本についての詳しい情報を得て、日本こそ文化の程度が高く、「宣教すれば絶対に広まるにちがいないと確信」して来日したのです。勿論八百万の神々に対して創造主である一神教の神を宣べ伝えるわけですが、その戦略に「自然科学の知恵」を用いました。識字率が高く、好奇心も強い日本人には、これはうってつけでした。「日本人には占星術なんか教えないで、数学を教えろ」という事になります。*しかし今日の日本はキリスト教は低迷していますし、創造論を教えてもなかなか広まりを見せていません。
2そうした日本の状況で「秀吉ももちろん宣教師に会っていますし、信長も会って、むしろキリスト教に賛成しています。信長の場合「新しい考え方、しかもそれが信長のように自己主張の強い人間にもマッチしたときには、どんどん取り入れられていくわけす」。*「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません」(ルカ5:38)。
3しかし秀吉は1587年宣教師追放令を突然出しました。その理由は「ひとつは秀吉がだんだん日本の中心人物になってきて、自分ほど偉いものはないという考え方になってきた。自分が全体を統一しようと思うときに、キリスト教の考え方には一神教の神があるわけですから、そういう唯一の神を信じる信仰が広まってくると、それとうまくいかないという気持ちもあっただろう…」。なるほどと思いました。ですから次の家康は「徳川の統治を安泰に導こうとし、その際キリスト教は絶対困る」という事で、1613年禁教令を出し徹底的な弾圧を開始しました。次いで1635年宗門改を出して、「戸籍を丹念に調べて、踏み絵を作り」ました。そこから隠れキリシタンがどんどん誕生していった次第です。

 今安倍政権はそれと同じ事をやろうとしているのではないかと考えています。具体的には靖国参拝の強要でしょう。
 しかし聖書を紐解けば、そんな政権が長持ちしないのは明らかです。バビロン捕囚を行ったネブカデネザル王について、聖書に「彼の心が高ぶり、彼の霊が強くなり、高慢にふるまったので、彼はその王座から退けられ、栄光を奪われました」(ダニエル5:20)とあるのは、秀吉、家康に、そして安倍政権に適用されるでしょう。