ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

学徒出陣から七十年

 「あなたが敵と戦うために出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの地から導き上られたあなたの神、【主】が、あなたとともにおられる」(申命20:1)
 2013年10月21日は学徒出陣からちょうど70年に当たります。1943年10月21日の神宮外苑での壮行会、写真だけでなく映像でも繰り返し報道されていましたから、良く覚えています。22日の朝日新聞にその出陣学徒を見送った渡邉米子さん(88歳)がインタビューを受けて、「雨が降って、寒くて暗い日。革靴で水たまりの中を歩いておられ、さぞ冷たいだろうと、気が気ではなかった」と語っておられる記事がありました。

 「太平洋戦争が敗色の様相をみせる1943年10月、学徒に認められていた徴兵猶予が停止された。これにより陸海軍へ入隊した学徒数は全国で9万、あるいは13万と言われ、早稲田大学からは4500名を超す学徒が出陣した。すでに1941年から繰上げ卒業が実施されており、翌44年には徴兵年齢が下げられるとともに、第二陣の学徒が出陣していった」(読売オンライン)。
 あと2年足らずで敗戦だったのに、多くの学生たちが徴用され、或いは激戦地で戦死、病死、或いは特攻隊員として敵機や戦艦に体当たりして散って行きました。
 勿論当時の学徒たちのうち、特に理工系の人々は徴用を猶予されていたので、徴用されたのは文系の学生たちでした。たまたま私のブログにコメントを寄せてくれたA0153 さんが「きけわだつみのこえ」に言及しておられたので、久しぶり読み返してみました。確かに理系は見当たらず、法文系、美術系ばかりでした(例外は農学部の一部学生や理学部地理学科の学生ら)。それまでは名もない庶民が先に徴用されたので、この学徒出陣以後も理系学生は「特権」だったのでしょう。東北大法文学部の平井聖さんは、母親から理科方面への転向を奨められましたが、この哀訴嘆願に葛藤したものの、「先立つ不孝は御ゆるしください」と書いて爆死しました。
 今はこの差別は問いません。この本と真剣に対峙する時、死を目前にした一人一人の煩悶が切々と伝わって来ます。
 全てを紹介出来ませんが、シンガポールの刑務所で刑死した京大経済学部木村久男さんの遺書は、気持ちがよくここまで昇華出来るものかと感嘆してしまいます。木村さんは「何等死に値する悪をした事はない」と書いています。しかしこの不合理は「過去に於て日本人がいやと云ふ程他国人に強いて来た事である」から、不服は言い得ないと書き、「日本の軍隊の為に犠牲になったと思へば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思へば腹も立たない。笑って死んで行ける」と言い切りました。まるでキリストのよう。
 「遠国に消ゆる命のさびしさにまして嘆かる父母のこと」「をののきも悲しみもなし絞首台母の笑顔をいだきてゆかむ」。木村さんの命日昭和21年5月23日は、私が生まれた日でもあります。その尊い犠牲の上に。
 皆祖国の新生を願いつつ、また父母特に母への感謝を述べつつ散って行きました。
 事実新生した日本、70年はバビロン捕囚からユダヤの人々が故郷に帰る事の赦された年数でした「まことに、【主】はこう仰せられる。『バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる』」(エレミヤ29:10)。
 しかし学徒出陣から70年、彼らの願いもむなしく、今安倍首相は右翼の軍国主義者として、戦前の世界を復活させ、貧困な若者の順番から戦地に行かせようとしています。断じて許すわけにはゆきません!