ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

スイスからの報告では、ヤセル・アラファトはおそらくポロニウムで毒殺された

 「彼の食べた物は、彼の腹の中で変わり、彼の中でコブラの毒となる」(ヨブ20:14)。
 2013年11月6日のロサンゼルスタイムズサイトでは、上記の題でパレスチナ解放機構(PLO)の議長だったヤセル・アラファトポロニウムで毒殺されたのではないかという記事を載せていました。画像も同サイトから。

 イスラエルの歴史において、この人の名は忘れられないでしょう。あのターバンのようなもの(*ハッタというそうです)をいつも巻いていて、パレスチナゲリラ戦士でありながら、目の優しい印象に残る人でした。
 ウイキペデイアによれば、1929年イスラム教徒の子として生まれ、日本で学園闘争が盛んだった1969年にパレスチナ解放機構の議長となり、運動の指導者となりました。いろいろな武装闘争を生き延びた後、イスラエルとの対話路線に転じて1993年和平(オスロ合意)を成立させ、翌94年イスラエルのイツハク・ラビン首相と共にノーベル平和賞を受賞しました。しかしその後ラビン首相は和平反対のイスラエル人により暗殺され、アラファトも2004年、嘔吐その他の症状で死亡しましたが、当初からこれは毒殺ではないかと噂されていました。厄介なパレスチナの共同体内での権力を巡るアラファトのライバルたちと、そのPLOの指導者を「テロリスと」と呼ばわるイスラエルの高官たちが、主な疑惑者たちの中に居ました。
 そこでアラファトの妻スハの訴えを受けて、パレスチナ自治政府は、1年前ウエスト・バンクにあるアラファトの遺骸から取られた骨の断片、分解した組織と体液の検査をフランス、スイス、ロシアの科学捜査研究者たちに、死因究明の為依頼しました。
 その3チームのうち、スイスのローザンヌにある大学の法医学センターが108ページに及ぶ報告を最初に提出しました(フランス、ロシアはまだです)。その結果致命的な放射性同位体ポロニウム−210の十分な痕跡を発見しました。それは通常のレベルより、少なくも18倍も高かったそうです。α粒子の放出による体内被曝が死因だったようです。
 カタール国のドーハに所在地があるアルジャジーラ衛星チャンネルが正式に報道しました。
 ポロニウムが犯人と断定されたのは、ソ連国家保安委員会(KGB)職員で英国に亡命したアレクサンドル・リトビネンコが、2006年毒殺された時と同じ症状だった事もあるようです。
 スイスの調査結果を受けて、イスラエル外務省は早速声明を出し、イスラエル政府はアラファトの死に関与していないと語りました。一方スハはフランスの法医学的検査結果を待ってから対応したいと述べたそうです。
 ポロニウムは有名なマリー・キュリーによって命名されました。α線を放出し体内に取り込まれると危険です。もしアラファトがその体内被曝で死んだのなら、犯人はその性質に熟知していて使用したのでしょう。