腸閉塞
「陰口をたたく者のことばはおいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく」(箴言18:8)。
2013年11月18日の朝日新聞連載「体とこころの通信簿」では、腸閉塞が取り上げられていました。
1976年2月マロリー・ワイス氏病という、嘔吐を続け、その勢いで食道の血管を破ってしまう病にかかりました。出血多量で病巣が分からず、胃を全部摘出されてしまい、食道と小腸、小腸と小腸をつなぎ、十二指腸側は閉鎖してしまう「ルーワイ法」だと思いますが、その術式で手術しました。
それで食道と小腸を繋ぐには、腸を引っ張り上げなければならない為、全体に腸が動きます。朝日の解説によると「手術をすると、腸が周りの臓器や腸のほかの部分とくっついてはがれにくくなったり、鋭角に曲がったりすることがある。これが通り道を狭くする」とあります。そこで「胃で消化されたものが肛門に運ばれずに詰まってしまう」のです。すると「便やおならが出ず、水分がたまっておなかが膨らんでしま」います。
私の場合この手術で腸内の菌叢が全く変わってしまい、悪玉菌ばかり巣食うようになり、十分消化出来ない食べ物が腸に行った時、その菌の餌食となり、腐敗を起こすようになりました。悪いガスが食べるごとに溜まるので、「スカンク」のようにひどい悪臭がします。それでなかなか人前に出られず、出たらガスを我慢するという日々が続きました。
手術から3年半経過した或る日、突然ガスを放出出来なくなり、まだ腸閉塞という病気の事も全く知らなかったのですが、何かお腹に異常が起きているという事を感知しました。同時にひどい悪寒と激しい腹痛が起こり始めました。
しかし何事も我慢強いのが災いとなり、三日ほど自宅で痛みの為に転げまわっていました。そして遂には起きる事も出来なくなり、初めての手術で入院した病院へ兄の車で運んでもらいました。
私から事情を聞いた副院長はすぐレントゲン検査を命じ、同時に採血も行われました。結果は上に乗せた画像のように、典型的な腸閉塞を起こしていました。ネットにも載っていますが、「ニボー」と呼ばれる特徴的な所見が見られます。腸のガスが黒い影として見えますが、三日月状の黒い形をしたのがニボーです。そして白血球数12,000で、熱も出て即入院となり、これまた緊急手術となりました。通常なら安静と点滴と浣腸で治るのに、この遅れの為又もや手術。しかし開腹した時は回盲部あたりの腸が膿んでいて、何も出来ずに閉じる結果になりました。事態は最悪、縫合した部分が開いてしまい、膿んだ腸が丸見えの状態です。こうなると処置はそこにガーゼを詰め込んで、毎日取り換え、自然治癒を待つばかりです。このガーゼ交換がこれまた死んだほうがましという程痛み、毎日回診車(ガーゼ交換の道具が一式入ったカート)ががらがら音を立てながら、近づいて来ると戦慄が走るほどでした。
その後順調な回復と思いきや、手術によって腹壁を支える筋膜と呼ばれる強靭な膜に欠損部ができ、ここから腹膜に包まれた腸が突出する「腹壁瘢痕ヘルニヤ」になってしまいました。この手術も2回ほど行い、計6回の手術となりましたが、今はメスが入った所はことごとく腹壁瘢痕ヘルニヤになってしまいました。重い荷物を扱う仕事が出来なくなり、事実上身体障害者の状態で今日に至っています。
この腸閉塞、手術後ばかりとは限りません。朝日記者は「消化の悪いものは控える、暴飲暴食はやめ、少しずつ食べること」を勧めています。そうした後、突然ひどい腹痛が起きたら要注意です。すぐ病院へ行って診てもらう事です。