ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

上智大学と陸軍の衝突

 「あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである【主】は、ねたむ神であるから」(出エジプト32:14)
 2013年11月29日の朝「記者有論」の欄で、オピニオン編集部の駒野剛という人が、秘密保護法案に関連して「自由の『外堀』埋めさせぬ」という題で、記事を寄せていました。
 戦前プロテスタントの一つの派であるホーリネス教会が、天皇制国家の下で弾圧されたのは良く知られていますが、堀氏が言及している陸軍と上智大学との衝突については、私は初めて知りました。

 それは1932年(昭和7年)に起こりました。5月5日「軍事教練の為配属されていた陸軍将校が、学生60人を引率して靖国神社を参拝した」と、堀氏はまず書いています。
 ところが上記聖書箇所のように、信仰上の理由から参拝しなかった学生が2人出た為、問題を重視した陸軍側は配属将校の引き上げを表明しました。こうした陸軍の措置は、放置しておけば上智大学カトリック系学校の取りつぶしや、カトリック教会の弾圧にまで発展しかねない恐れが出て来た為、上智大学は苦慮しました。
 そこでウイキペディアによりますと、「日本カトリック教会の東京教区長であったアレクシス・シャンボンは、1932年9月22日付書簡を以て文部大臣鳩山一郎(*任期1932〜34年)に靖国参拝の意義について照会。9月30日付の文部次官粟屋謙からの返信で、参拝は愛国・忠君のためのものであるとの回答を得る」とあります。
 鳩山一郎が文部大臣を務めていたのは、前朝鮮総督・枢密顧問官の齋藤實が組閣した時期に当たります。リベラル派が後退してしまい、彼は急激に軍部に加担する立場となりました。この上智大事件の後では1933年京大滝川事件(=思想弾圧事件)が起こり、京大総長に滝川教授罷免を要求、かなわずと見るや彼を一方的に休職処分にしたほどのタカ派ぶりでした。
 そんな鳩山が相手でしたから、カトリック教会(もちろん上智大学などを含む)は「靖国参拝は宗教行為ではないと解し、神社参拝を許容することで事態の収拾を図ろうとした」とあります。完全な自主規制でした。
 しかしそれを知ったマスメディアの攻撃で、カトリックはさらに譲歩を重ねた為、陸軍将校は上智大学に復帰しましたが、それは陸軍への完全な屈服の形になり、上智大学は学長以下、神父、学生に至るまで靖国神社へ参拝するようになりました。
 一方プロテスタントではそれより約10年後、ホーリネス教会の弾圧事件が起こり、100名近い聖職者が逮捕され、獄中死する人も出ました。
 この陸軍将校の大学や教会への配属(私の所属する教会にも、戦前そうした将校が教会内に陣取り、何を説教するのか、信徒の反応はどうか目を光らせていた、と証している方がいます)は、まさに信仰を含めた自由の破壊となりました。
 そこで最後に朝日の駒野氏は、「いったん『自由』を縛ることができる手段を、権力を持つものに与えてしまうと、後は彼らの裁量、さじ加減で何とでもなることを、参拝拒否事件は示している」と書いた上で、この特定秘密法案を「自由の『外堀』」を埋める危険極まりないものとして糾弾しています。
 私もその信徒の一人、信仰故に逮捕されるような事態は十分起こり得ると覚悟しています。勿論廃案になる事が一番です!