ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

松戸・東北交流サロン『黄色いハンカチ』に参加して

 「彼らは互いに助け合い、その兄弟に「強くあれ」と言う」(イザヤ41:6)。
 2014年3月29日松戸市の広報から、松戸駅西口デッキで、「未来フェスタ」という祭りがある事を知り、自転車で行って来ました。

 その一角に「交流サロン『きいろいハンカチ』と書かれた垂れ幕があり、寄ってみたら、東日本大震災復興支援松戸・東北交流プロジェクトという組織が存在し、その中に伊勢丹向かいのビルを拠点とする松戸・東北交流サロン『黄色いハンカチ』が開かれている事を知りました。

 松戸市にはこの3月31日現在で、261名の避難者が住んでいます。その方々の支援という形で、このビルの一室で自由な交流が持たれており、歌や手芸など多彩な行事も行っています。
 5月29日に初めて行ってみたら、女性ばかりでしたが、大歓迎を受けました。私が福島へボランティアに行くビジョンがある事を話したら、地元の人々だと複雑な事情があって難しく、東京の人こそ是非支援に来て欲しい、除染や介護を含め多くの仕事があるのに、人手が足りないと言われました。7〜8人おられ、皆東北出身とか東北の被災者の方々です。3年も経つのに何一つ進行していないという訴えもありました。私の心は燃えて来ました。その日は遅かったので、そこで切り上げ次の機会を待ちました。

 そして6月10日再度そこを訪問したわけです。部屋には避難者の方々が作った素敵なものが多く掲げられており、テーブルを挟んで既に知りあいとなっている方々が、お茶とケーキでいろいろ話をしていました。男は私だけで、話下手な人だと尻込みするかも知れません(苦笑)。
 被災された方々の元の場は、岩手では大船渡、福島では二本松、南相馬、浪江などで、それぞれ大変な思いをしています。
 私はひたすら傾聴とメモ書きをしていましたが、1時間半という短い時間で多くの貴重な情報を得る事が出来ました。
 それぞれの場の現況も教えてくれましたが、勿論皆帰還の目途はなく、松戸に永住する事になるかもしれないという事を言っている方もいました。又松戸という都会は、どうも田舎者の自分には合わないとはっきり明言する方もいました。
 話が弾む頃、松戸で本格的にボランティア活動をしている方が初めて来会、多賀城市の出身、松戸で23年になる方でした。私もその方もさっそく2014年度サポート会員になりました。早速7月5日のチャリティーサマーコンサートや、8月9日の松戸市主催のイベントの手伝いをする予定です。そこでもっと多くの避難者たちと知り合い、どこへ行くべきか絞り込む事になりそうです。
 本日の皆様一見明るかったですが、やはり五輪開催批判や、自分たちだけ金儲けしている政治家・官僚たちへの強烈な非難が口をついて出て来ました。当然です。それをしっかり受け止めなければなりません。私も全く同感でした。こうした方々の生活の安定の為、十分な補償がなされる事を祈るのみです。
 再度言います。「東京の人こそ是非支援に来て欲しい」。これはあなたにも向けられている重い問いです。