ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

瀬木比呂志著『絶望の裁判所』

 「幸いなことよ。さばきを守り、正義を常に行う人々は」(詩106:3)。
 図書館で上記の本を借りて読みました。これまでも裁判官系の本は何冊か読みましたが、だいたい無味乾燥で型式ばったものが多く、全く面白くありませんでした。
 しかし瀬木氏のこの本は全然違いました。230ページほどの新書を一気に読ませてくれる魅力がありました。

 瀬木氏は東大法学部出身、司法試験に合格してから、東京地裁最高裁に33年余勤めた後、本来の希望だった学者に転身、現在明治大学で教えています。ですから最高裁から地裁に至る内部事情を知悉し、この巨大組織の悪、裁判官自らの不祥事、幼児性、セクハラ問題等々、読者に分かりやすい言葉で伝えていますから、興味深く読め、且つ納得させられるところが多くありました。読後感としてはまさに、日本の裁判所が絶望的な組織であり、或る日庶民が冤罪で逮捕されたら、勝訴を勝ち取り、名誉を回復する余地などほとんど無い事を知らされ、日本に「大きな正義」(=国家レベルでの訴訟で)、「小さな正義」(=民事訴訟など)など期待しても、まず幻想に近い事を悟らされ、暗い気持ちになりました。
 つまり日本の裁判官の関心はとにかく和解をしゃにむに成立させ、その事件を処理すれば済む事だからです。庶民のどうでもいいような事件(冤罪を含む)・紛争などは、とにかく早く終わらせ、全体としての秩序維持、社会防衛を守る事が大切なのです。まして憲法に関わるような「大きな正義」など深い関心を持つ事は望ましくないという事です。かつて多数派だった「正義」を求める学者肌の裁判官はいなくなり、官僚・役人タイプが大多数を占めているので、霞ヶ関の官僚組織と全く同じような構造になったからです。彼らが瀬木氏の退官に際して、内部事情を一切口外してはならないと脅した上で、早期退職を強要したのは言うまでもありません。
 この「法服を着た役人」の腐敗は自浄作用が働かず、ますます劣化・腐敗が進行します。それには2008年異例の最高裁長官人事で、刑事系の竹崎博允氏が就任してから、「毒が全身に回った状態」に成り果てた事もあるそうです。なお瀬木氏のこの本が出てすぐ竹崎氏は最高裁長官辞任の意向を表明しましたが、瀬木氏の糾弾が効いたようです。後任は寺田逸郎氏で、民事系です。
 この本で瀬木氏の見た最高裁判事四つの類型を割合で見ると、「人間としての味わい、ふくらみや翳りをも含めたそうした個性豊かな人物=5%、「イヴァン・イリイチタイプ=45%(*典型的な官僚裁判官)、「俗物・純粋出世主義者=40%、「分類不能型あるいは『怪物』=10%となっています。
 日本の裁判所の特徴は、最高裁事務総局による一元的な上位下達、上命下服のピラミット体制です。特定裁判官の再任拒否、瀬木氏も受けた早期退官の「事実上の強要」は自在のままです。この「檻」の中の裁判官たち=精神的「収容所群島」の囚人たちの精神構造の病理がさらに9つ挙げられています。1一枚岩の世界、内面性の欠如、内面のもろさ(*彼らの講演は無内容、紋切り型、非個性的で全くつまらないものです。2エゴイズム、自己中心性、他者の不在、共感と想像力の欠如3慢心・虚栄4嫉妬5人格的未熟さ、幼児性6建前論、表の顔と裏の顔の使い分け7自己規制、抑圧8知的怠慢9家庭の価値意識(*裁判官の子どもに登校拒否、引きこもり、自殺等かなりの数がいると瀬木氏は言っています)。
 こうしてみると、人を正しく裁くべき裁判官が、聖書でいう「罪」を最も全人格的に表わしており、驚くべき「罪人」であると言わざるを得ません。つまり人を裁く資格などありません!!(私たちも人を裁く時は気をつけないといけませんが)。
 とにかく読みやすく、天木直人氏も必読の書と推薦しています。