ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ライシュ教授のTPP論

 「隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません」(ルカ8:17)。
 2015年1月6日のハフポストサイトでは、「なぜTPPは差し迫った災いなのか」という題で、カリフォルニア大学バークレー校のロバート・ライシュ教授が寄稿していました。
 これは米国内有識者からのTPP反対論です。以下はその要約です。オバマの喜ぶ画像はhttp://newsphere.jp/economy/20141107-1/からお借りしました。

 今議会を運営している共和党員たちはオバマ大統領と協力し、政権のTPPを友好関係のひな形にするつもりです。
 もしTPPについて多くを聞いていないとしたら、まさにそこが問題なのです。それは歴史において最大の取引協定となりますが、諸々の国を含み、中国から日本に至るまで手を広げています。7億9千2百万の人々が関与し、世界経済の40パーセントを占めるにもかかわらず、それは秘密のうちに立案されています。
 米国最大の企業のロビイストたちや、ウオールス街の最大の銀行が関与していますが、一般の人々はそうではありません。それが上位に居る人々の多額の利益や高給の作り方となりますが、私たちはそうではなく、まして他の世界の地域のほとんどの人々も同様です。
 最初に背景を幾つか。私たちは貿易政策を自由貿易保護貿易の選択と考えて来ました。自由貿易は他国で作られた製品に対して私たちの国境を開き、保護主義は関税と輸入割当量を指定し、そうした製品を締め出す事です。
 第二次世界大戦から数十年間、米国は自由貿易を選択しました。それは各国が最も優れた且つ最低の費用で、商品製造に専念出来るという考え方でした。だから生活水準は米国内でも国外でも上昇しました。三十年間自由貿易はうまくゆき、お互いが益を得ました。
 しかし最近の数十年のうちにその選択は遥かに複雑になり、貿易協定からの報酬はトップの人々には歪んだものとなりました。
 関税は既に低くなっており、今交渉は知的財産権、財政規制、労働法、健康・安全・環境の規則等が対象です。
 それはもはや自由貿易保護主義といったものではなくなりました。大企業やウオール街が両方を望んでいます。
 彼らは知的財産権や他の価値ある物に関しては国際的な保護を望んでいます。特許、商標権、海外での著作権の保護・拡大を求め、フランチャイズ(=一手販売権)契約、貸付金を保護する貿易規則を求めて来ました。
しかし彼らは消費者・労働者・小投資家や、その生活環境の保護の縮小を望んでいます。なぜならそれらは自分たちの利益を妨げるからです。ですから彼らはそうした保護を無効にする貿易規則を求めています。
 企業やウオール街のロビイストたちが大抵起草する取引は予想通りです。TPPはまさにこの混合をもたらします。
 例えばこれまで露呈しているのは、製薬産業がさらに強力な特許の保護を得る事であり、安いジェネリック医薬品を先延ばしさせる事です。それは大医薬会社には良い取引ですが、発展途上国の住民には不利益です。彼らはいのちを救う薬の費用が出せないでしょう。
 TPPはまた世界的企業に対し、各国の法体系にある、代理人から成る国際裁判所を備えます。それは海外資産の「不当な収用」に対して、補償を命じる事が出来ます。それらにとってさらに良い事には、裁判所が国の規制から生じたどんな利益損失に対しても、補償を命じる事が出来るのです。フィリップ・モリス社はウルグアイに対し、その強い反タバコ規制が企業の利益を不当に減少させていると主張しています。
 TPPは米国人にとって良いと思っている人は誰でも注意が必要です。米国に拠点のある企業の外国子会社は、その利益を不当に損ねるような米国政府の規制には、容易に挑戦する事が出来ます。その規制とはアメリカの消費者たちを安全でない商品や不健康な食品から守り、投資家を詐欺的な有価証券から守り、略奪する貸出から守り、労働者を安全でない労働条件から守り、納税者を公的資金によるウオールストリートの救済措置から守り、また環境を有毒物質の排出から守る為のものです。
 政府はTPPが急速に成長している中国経済との競争で、米国の輸出を高めると言っています。TPPは中国の経済を意識したオバマの戦略です。
 TPPは世界的な競争では巧妙に相手を陥れるトロイの木馬のようなものです。それは大企業やウオールストリートの銀行に、その利益の妨げとなるようなあらゆる法や規制を取り除く道を提供します。
 企業の利益が記録的高さであり、この四十年間で賃金がさらに下がっている時期、ほとんどの米国人が大企業やウオールストリートからの保護を必要としています。
 TPPは誤った問題に対する誤った治療法です。どのように見ようと、それただ明白な誤りです。