ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

三原議員の八紘一宇発言について

 「しかし、彼はこの長老たちの与えた助言を退け、彼とともに育ち、彼に仕えている若者たちに相談して」。
 2015年3月16日の参議院予算委員会で、自民党三原じゅん子議員があっと驚く発言をし、マスコミでも取り上げられました。
画像は日刊ゲンダイサイトより拝借。
 それは「八紘一宇」という言葉を含めた内容です。
 コトバンクによると、「『世界を一つの家にする』を意味するスローガン。第2次世界大戦中に日本の中国,東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた。『日本書紀』のなかにみえる大和橿原に都を定めたときの神武天皇詔勅に『兼六合以開都,掩八紘而為宇』 (六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き,八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす) とあることを根拠に,田中智学が日本的な世界統一の原理として 1903年に造語したもの」とあります。原文は非常に難しいものです。
 しかし私たち団塊以上の世代なら、父母より八紘一宇の言葉を直接聴いた事がある筈です。それほど大戦中に頻繁に使用されていたからでしょう。
 でも1964年生まれ、まことに失礼ですが、明治大学付属中野高等学校定時制を中退した人が、こんな読み方も分からない難しい言葉を知っているわけがありません。山川日本史には載っていませんでした。大東亜共栄圏はありましたが。だいたい高校の日本史は、近代まで到達するのがやっとで、太平洋戦争の歴史など、さっと学んでおしまいというのが一般的でしょう。
 『あの戦争は何だったのか』の保坂正康氏によれば、大東亜共栄圏は昭和15年に松岡洋右が記者会見で初めて使ったとありました。また八紘一宇東条英機や軍部が、演説でよく使ったそうです。
 それを考えると、確かにマスコミが言うように、「誰かに知恵をつけてもらった」に違いありません。それもおそらく安倍政権の皇国史観を保持している議員たちでしょう。麻生議員はたぶん知らんぷりを決め込んでいたに違いありません。
 事実東京新聞によれば、三原議員はこの言葉を、2013年2月11日の建国記念の日のブログで記す為、神武天皇の事を勉強して、初めて知ったと言っています。
 彼女の弁明をやはり東京新聞で見ると、「八紘一宇という言葉が、戦前に他国への侵略を正当化するスローガンや原理として使用されたという歴史的事実は承知しているし、侵略を正当化したいなどとも思っていない。良くない使い方をされた経緯を認めたうえで 、この言葉は、戦争や侵略を肯定するものではないことを伝えたかった」などと述べています。どうして「戦争や侵略を肯定するものではない」などと、当時生きていたわけでもないのに、知ったかぶりに言えるのでしょうか。このくだりを見れば、入れ知恵というより、自民党プロパガンダの為に、強い教唆を受けてにわか勉強をし、予算委員会で公表したとしか思えません。
 この点について、東京新聞のコラムニスト斉藤美奈子氏が批判しているのをcangaelさんが載せていました(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20150318/1426646421)。斉藤さんは凄い文芸評論家だから、「そんなもん、わざわざ紹介されなくても知ってるわ」と簡単に言いますが、父親が新潟大学名誉教授、自身は名門新潟高校の出身なので、けだし当然なのかも。
 女性の政治世界への進出が少ないと言われる日本ですが、特に自民党の若手の高市早苗佐藤ゆかり野田聖子片山さつきなど、普通の主婦感覚を持ち合わせた高い見識のある女性が皆無であるのは、憂慮すべき事態です。いや自民党の老醜たちのロボットと化している事の、空恐ろしさを感じます。
 なおこの話題はnarumasa_2929さんも取り上げていました(http://d.hatena.ne.jp/narumasa_2929/20150319/1426698687)。その論理力には、私は到底かないません(泣)。