ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

なぜかくも多くのアメリカ人があまりに無力と感じているのか

 「あなたは無力な者をどのようにして助けたのか。力のない腕をどのようにして救ったのか」(ヨブ26:2)。
 2015年4月27日のハフポストサイトに、上記の題でカリフォルニア大学バークレー校のロバート・ライシュ教授が寄稿していました。以下その抄訳です。
画像はhttp://www.neoral.jp/mg/01/ からお借りしました。
 最近ある警備員が私に、毎週どれくらい収入を得ているのか分からないと言いました。なぜなら彼の会社はその予定や賃金を変え続けているからだそうです。彼は「会社はただどうでもよいからです」と言いました。
 先週ダラス・フォートワース空港で出会った旅行客は、そこに8時間もいたけれど、旅に責任ある航空会社は、その晩離陸する別の便を見つけてくれようともしなかったと言いました。彼女は「会社は気にも留めない」と言いました。
 数週前ノースカロライナで会った人は、投票を止めたと言いました。なぜなら選出議員は自分のような平均的な人々が考えたり望んだりしている事に、答えてくれないからだそうです。「彼らは耳を傾けてくれません」と彼は言いました。
 これらの点を繫ぐものは何でしょうか?私がアメリカ中を旅すると、ほとんどの人が全く無力である事に驚いてしまいます。
 私たちが働いている企業、買い物をする業務店、参加する政治体系は、全てますます無責任になって来ているように見えます。私は何度もその事を聞きました。彼らは気遣いがなく、私たちの声は重視されていません。
 その理由の大半は、これまであった選択肢が僅かになっている事です。私たちの生活のほぼ全ての領域で、今やそれは受けるか否かの選択だけです。
 企業は労働者を使い捨ての歯車の歯の一つとして扱っています。大部分の働いている人々に選択がないからです。労働者は仕事が必要で、手に入るものは受け取らなければなりません。
 仕事は大不況の底から戻りつつありますが、実際動いている労働力の割合は、膨大な数の中産階級の妻たちや母親たちが賃金労働に従事していた頃に比べ、ここ30年の間低いままです。
 それこそ民間企業が通告なしで労働者を解雇しても、またフルタイムの仕事をパートタイムの請負仕事に置き換え賃金をカットしても許される理由です。ほとんどの働いている人々は、選択の余地なしです。
 一方消費者は不当な扱いを受けても、当たり前のように感じています。なぜなら彼らも選択肢が少ないからです。
 例えば米国の航空会社は一握りの巨大事業会社に整理統合され、そこが路線を割り振り、運賃も共謀しています。2005年に米国では主要な9つの航空会社がありましたが、今たったの4つです。
 それは経済でも同様です。アメリカ人の80%はたった一つのインターネット接続サービス会社に支配されています。つまりコムキャストAT&Tかタイムワーナーです。
 最大の銀行はさらに大きくなっています。1990年に5つの最大銀行は、ほんの全銀行資産の10%を保持していました。今やそれはほぼ45%となっています。
 巨大保険会社はさらに大きくなり、巨大病院チェーンも遥かに大きくなっています。最も強力なデジタル環境(アマゾン、フェイスブック、グーグル)も巨大です。
 それは全て消費者の選択を少なくしていますが、それは結果的に勢力低下に繋がります。
 私たちの不平はどこにも行き場がありません。しばしば私たちは不満をぶつけられる本当の人さえ、見い出す事が出来ません。自動化された電話メニュー方式は延々と続きます。
 最後に私たちは投票者として、誰も耳を傾けてくれないと感じています。なぜなら政治家たちもまたますます競争に直面しなくなって来ているからです。85%以上の下院選挙区は近づく2016年の選挙で、現職議員には「安全」と考えられています。たった3%だけが五分五分です。
 大統領選挙ではほんの一握りの州が今「激戦区」と見なされていて、民主党共和党に行く事になります。
 ですから当然そこでは候補者は組織的運動をします。ほとんどの州の投票者たちは、その多くを見る事はないでしょう。こうした投票者たちの票は軽く見られています。
 五分五分の区や激戦州でも、あまりに多くのカネがそこに流れているので、平均的な投票者たちは選挙権を剥奪されたと感じています。
 これら全ての点で、無力さは意義ある選択肢の欠如から来ています。大機関投資家は応答する必要はないです。なぜなら私たちは競争相手の所に行って、それらに刑罰を科す事が出来ないからです。
 そして私たちは対抗の大きな声を上げ、耳を傾けてもらう事はありません。
 5年前、3分の1の民間労働者たちは労働組合に所属していました。それは労働者たちに交渉力を与え、経済活動の利益の相当な分け前を得る事が出来ました。またもっとよい労働条件もありました。さらに声を上げる事も出来ました。今や7%以下の民間会社の労働者たちが、労働組合に加入しているだけです。
 1960年代、主張する消費者運動は、安全な生産物・低価格を要求し、独占企業に対する独占禁止行動、産業界の癒着に反対する事が出来ましたが、今は消費者運動は抑えられています。
 数十年前政治党派は強力な地区と州の所属地があり、政治活動をする市民たちは、党綱領や候補に指名された人々に対して声を上げる事が出来ました。今は二つの主要な政治党派は姿を変え、巨大な国の資金調達機構となっています。
 私たちの経済と社会は、大抵の人がシステムは自分たちの為に働いていると感じるかどうかにかかっています。
 しかし私たちの生活のあらゆる面で、労働者、消費者、投票者として無力感が増大しています。それがほとんどの人に、システムは頂点に立つ人々だけの為に働いていると納得させてしまっています。
*今の日本も良く似ています。強大な権力を前に、多くの人々が無力さを感じています。そこを何とか少しでも切り崩し、よりよい社会に向けて活動したいものです。