佐和隆光著『経済学のすすめ』−異色の経済評論
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい』(ピリピ2:3−4)。
この本はいわゆる経済学の初歩を教える為だけでないと思いました。その意味で門外漢もにも優しい本です。
2015年6月8日に国立大学法人に、文部科学省が出した通達は、相当な影響を与えました。そのサイトから一部を抜き出しますと、以下の通りです。
「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」。
それを受けて2015年9月9日かの経団連でさえ、批判的な考え方を表明しました。「産業界の求める人材像は、その対極にある」とかなり痛烈です。そして「理工系専攻であっても、人文社会科学を含む幅広い分野の科目を学ぶことや、人文社会科学系専攻であっても、先端技術に深い関心を持ち、理数系の基礎的知識を身につけることも必要である」と主張しました。産業界の要請はとにかく、これはまともな意見です。
そこで佐和氏に登場してもらいますと、次のようにあります。これは佐和氏のテーゼです。
「全体主義国家は必ずや人社系知を排斥する」。
「人社系知を排斥する国家はおのずから全体主義国家に成り果てる」。
ですから安倍政権の政治姿勢はと問うなら、「国家主義者(ナショナリスト)であることに、異論をはさむ余地はあるまい」という事になり、アベノミクスという経済政策は、新古典派かケインズ派かと言われると、「どちらでもない」、あえて分類するなら「国家資本主義」と位置づけられます。安倍氏と日銀黒田総裁の仮説は、「上意下達の愚民政策」とずばり。
この独裁主義者は「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4:23)とあるのに、その道の権威筋から謙虚に耳を傾けて学ぶ事がありません。
そして文部科学省の通達にあるように、歴史や哲学、文学などの人文知を軽視し、ひたすら理系の人材育成を短期で成し遂げようと目論んでいます。歴史から学ばず、一般的な常識も持ち合わせていないのでしょう。
米国に隷従する安倍氏は、トランプ氏がまだ次期大統領になっていないのに、オバマ政権を尊重せず、勝手にトランプ氏との夕食会を先走って実施しようとしました。それに対し米政府側がいっせいに反発し、強い異議を日本政府に伝えていたそうです(福島民報12月5日)。当然夕食会は中止です。そういう非常識で、日本は安倍政権を通し、世界に恥を撒き散らしています。
12月7日の福島民報によると、経済協力開発機構が学習到達度調査を行ったところ、日本の子どもたちは科学や数学のレベルは高かったものの、改めて文章の読解力が2012年のピーク時から大幅に落ちている事が分かりました。私はこの傾向はこれから先も続くと見ています。皆が横並びでスマートフォンばかり見入っていては、一朝一夕で培う事の出来ないない文章力など、どうして磨けるのでしょうか?スマホを捨てて街に出よう。そこで出会う事を文章にしたためてみよう。そうしなければ日本独自の文化など生まれるはずがありません。
ちなみに米国大学で使われる文献トップ100から、佐和氏は何冊か挙げていますが、驚いた事に思想・哲学・経済学など文系の古典が上位を占めており、マルクスの『共産党宣言』が4位!。50位に『資本論』です。日本人の著作としては、1000位以内では、502位の『禅と日本文化』(鈴木大拙著)だけだそうです。日本の学生は文系理系を問わず、古典など読んでいないでしょう。
理系の憧れ、スティーブ・ジョブズは「iPAD2のような心を高鳴らせる機器を開発するには、テクノロジーだけではダメなんだよ。リベラル・アーツ、なかんずく人文知と融合したテクノロジーが必要なのだ」と言ったそうです。
とにかく非常に面白かったです。文科省の真意に迫るには、是非この本を読んでみて下さい。